妻がとつぜん失踪して9年… 「僕の不倫のせいなのか」と苦悩する44歳男性“波乱の家族史”

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友人の父親にかわいがられ…

 それ以降、養母とはもちろん、父とも距離を置かなければならないと心に決めた。そのために急遽、志望校を変えて全寮制の高校に入学した。

「父が再婚したのは30代後半、養母は30代前半だったはず。養母にしてみれば、いきなり7歳の子の母親にならなければならないとがんばっていたんでしょう。悪いことをしたなと思います」

 高校に進学はしたものの、鬱屈した日々を過ごした淳也さん。勉強もスポーツも、夢中になれるものは何もなかった。将来に希望も持てなかった。ただ、寮で隣の部屋にいた同級生とは仲良くなった。彼もまた家庭に問題を抱えていたという。

「入学した年の夏休みだったか、彼が『家に帰りたくないなあ』と言い出して。僕も帰りたくなかったから、じゃあ、ふたりでどこかに行こうかと自転車で旅をしたんですよ。楽しかった。でもさすがに彼は『ちょっとだけ家に顔を出すから一緒に来てくれない?』と言うのでお邪魔したんです。ご両親は明るくていい人たちだった。彼はものすごく愛されていたんですよ。それがうとましかったらしい。でも僕は羨ましかった。彼のお父さんとなぜか気が合って、そんな話もしました。お父さんは黙って聞いてくれた。何かあったらいつでもおいでと言ってくれたとき、思わず涙が出ました」

 淳也さんは高校を1年で退学、その友人の父親が経営する内装関係の会社に入社した。弟子入りのようなものだったと淳也さんは言う。

「友人には、おまえが社長になったらオレをそのまま使ってくれよと言ったら笑っていました。友人はなぜか突然、勉強に目覚めて医師になりました。すごいですよね」

 淳也さんは友人の父親にかわいがられ、仕事をぐいぐい覚えていった。体で覚えるタイプなんでしょうねと笑うが、その後は必死に仕事関係の勉強もしたようだ。そして友人の妹である咲紀子さんと結婚したのが28歳のときだった。

「師匠の娘さんと結婚するなんて畏れ多いから断っていたんです。咲紀子はいい子だったけど、若いときから一緒にいるから恋愛感情はもっていなくて。だけどある日、師匠が急に頭が痛いと言って倒れて、そのまま帰らぬ人になってしまった。咲紀子のお母さんも、兄である友人も『この家を継いでほしい』と。師匠には恩返しをしたかったから、引き受けました。そして結婚もしたんです」

 結婚したことを、父親にだけは知らせた。父は電話越しに「そうか」とつぶやいただけだった。おめでとうの一言もないんだね、と言ったら電話が切れた。そのころ父は妻から、淳也さんとの関係をほのめかされていたらしい。

 実家との関係に見切りをつけた淳也さんは、婚家のためにがんばろうと決意した。ところが、まだまだ波乱は続いた。

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