気絶したチームメイトを介抱する間に決勝点…日本シリーズの勝敗を決した「記憶に残る珍場面」

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“一塁線の石ころ”

 審判に当たった打球がシリーズの流れを大きく変えたのが、1982年の西武対中日第5戦である。

 第1戦、2戦と連敗のあと、第3戦から連勝で2勝2敗として勢いに乗る中日は0対0の3回2死二塁、平野謙が一塁手の右を抜ける長打コースの当たりを放つ。

「中日が先制!」と誰もが確信した次の瞬間、信じられないような珍事が起きる。なんと、平野の打球は村田康一一塁塁審の右足を直撃すると、コロコロと二塁手の前に転がっていくではないか。

 二塁走者の田尾安志は打球が抜けたと思い、すでに三塁を回っていたが、ボールが二塁から三塁に送球されるのを見て、慌ててUターンした。だが、時すでに遅く、間一髪タッチアウトになり、中日の先制の1点は、“一塁線の石ころ”によって、幻と消えた……。

 思わぬ珍プレーでシリーズ史に名を残すことになった村田審判は、「正直言って『しまった』と思いました。あとはボールが外野に転がってくれ、と祈っていましたが、田尾選手が三塁で刺されたときは、目の前が真っ暗になりました。3回以降は時間の経つのが長く感じました」と、のちに回想している(2013年11月14日付、西日本新聞掲載「オレが村田だ!」)。

 試合は西武が3対1で勝ち、第6戦も連勝して球団創設4年目で初の日本一に。まさにシリーズの流れを変えた石ころだった。

「最初から中、中、中だった」

 最終回に起死回生の同点劇と思いきや、守備妨害で一転ゲームセットになり、日本一が決定したのが、2014年のソフトバンク対阪神第5戦である。

 第1戦に先勝しながら、第2戦から3連敗し、あとがなくなった阪神は、0対0の8回に松田宣浩の中前タイムリーで勝ち越しを許し、瀬戸際に追い込まれた。

 だが9回、3つの四球で1死満塁のチャンスをつくり、6番・西岡剛がカウント3-1からが一塁正面にゴロを転がした。

 打球を処理した明石健志がすぐさま本塁に送球して2死をとったあと、捕手・細川亨が併殺を狙って一塁に送球したが、ボールはライン上を走っていた西岡の右手に当たり、ファウルグラウンドへ。

 阪神は土壇場で同点に追いついたかに思われたが、白井一行球審は野球規則6.05(k)により、守備妨害を宣告し、併殺でゲームセットになった。

 スタンドの虎党の歓声がため息に変わり、和田豊監督も激しく抗議したが、判定は覆らない。白井球審は「(西岡は)左打者なので、ふつうは(ラインの)中は走らない。完全に両足が(ラインの内側に)入っていて、明らかに妨害しようという意図が見えた」と説明し、東利夫一塁塁審も「最初から中、中、中だった」と同様の見解を示した。

 一方、西岡は「(開幕直後の巨人戦で負傷し、3ヵ月離脱)けがで始まり、僕で終わってしまった。申し訳ないという言葉で済まされない」と最後の打者になった事実を重く受け止めていた。翌日、自身のフェイスブックに「当たれと思いながら走った」と記しており、開幕から悔いを残したままシーズンを終えたくない一心から、一か八かのギリギリ走塁を試みたことが窺える。

 最後の最後まで勝負をあきらめなかった男の執念が、結果的に「(日本シリーズで)こういう終わり方って初めてですね」(ソフトバンク・秋山幸二監督)という珍しい幕切れを生んだ。

久保田龍雄(くぼた・たつお)
1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)

デイリー新潮編集部

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