気温40度、湿度98%で働くフンドシ姿の男たち……過酷な炭鉱労働の現場を70年前の貴重写真で振り返る
若き日の渡部雄吉から声をかけられ…
SDGsなど脱炭素の風潮により嫌厭(けんえん)されていた石炭だが、いま燃料費高騰やロシアのウクライナ侵攻により再び関心が高まっている。かつてのにぎやかな炭鉱の思い出を、70年前の貴重写真で振り返る。
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【貴重写真】ふんどし姿で過酷な環境で働く炭鉱夫たち 女性は商品を選別する仕事に従事していた
先月、石炭が過去最高値を記録した。折からの燃料費高騰に加え、大きなシェアを占めるロシア産の供給がウクライナ侵攻によりストップ。また、不足している天然ガスの代替として需要が高まるなか、冬の到来を前に、さらなる値上がりが予想される。
日本にも、かつて多くの炭鉱が存在した。その一つ、常磐炭鉱は第2次世界大戦中から、福島県の一大産業として、活況を呈していた。
そんな繁栄まっただ中の常磐炭鉱を撮影したカメラマン・高岩震氏(94)はこう回想する。
「1952年、新宿のキャメラ屋で“旅に出たいなあ”なんてボヤいていた僕に、見知らぬキャメラマンが“今夜上野を出て常磐炭鉱に取材に行きませんか”と誘ってきた。彼は、若き日の渡部雄吉でした」
渡部雄吉は、「世界青年平和写真展」報道写真部門でグランプリを取ったこともあるカメラマン。晩年には、紫綬褒章も受章した。
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