世界から笑われる日本のコロナ対策、どこで道を誤った? 病床1床の確保に2億円、高齢者に使われたお金と若者が払った犠牲
リスクの専門家が政府にいなかった
政府がもう少しでも機動的に、費用対効果を勘案することはできなかったものか。大竹氏が言う。
「分科会及びその非公式勉強会で経済学者の構成員は“感染の中期的見通しを出すことが必要”と、申し上げてきましたが、感染症の専門家たちは出せないとのことでした。先のことが確実にはわからないのは事実ですが、長引けばどこまで続き、早ければこのぐらいで収束する、という選択肢が提示されれば、リスクはあるがこれを選ぶ、というコミュニケーションもとれたでしょう。企業や政府は将来を見通して、現在の行動を決めるものなので、政府は将来の見通しを示して対策することが重要です。しかし、その発想が感染症の専門家にはなかなか伝わりませんでした。感染症の専門家から、政府が短期的視点での情報提供を受け、短期的な経済対策を積み上げた結果、長期的には非効率になった、という面があったと思います」
唐木氏が加える。
「リスクの専門家が政府の機関にほとんどいなかった。欧米のように、リスクの専門家が感染症と経済それぞれの専門家を仲立ちし、リスクの最適化を考えて政治家に適切にアドバイスする体制を、日本も作る必要があります。“命の問題だ”と言われると、政治家はリスクを調整できなくなってしまう。政治家にとっては次の選挙で当選するかどうかが最大のリスクで、そのために感染症や経済のリスクをどう使うか、という発想をします。だから中立な行司役が必要なのです」
高齢者の余命1年のために使われたお金は…
だが、いまからでも膨大なコロナ予算の効果を検証すべきだ。国際政治学者の三浦瑠麗さんが言う。
「最大の問題は、日本がこれまでに投じた費用の効果を検証していないことです。たとえば新型コロナウイルス感染症対応に関する有識者会議でも、未来志向でどんな医療政策が必要になるかという点は論じられても、使われたお金のコストパフォーマンスについては、評価を下していません。経済へのダメージと新型コロナによる人々へのダメージを、てんびんに載せて比較しないといけません。経済被害や自殺などを含め、コロナ対策によって失われたGDPと、その対策のおかげで救われた人命を算出し、平均余命も考慮すれば、余命1年あたりいくら使われたか、計算することは可能です」
計算しても、ある程度の仮定にはなるが、
「仮に京大の西浦博教授が発表した、行動制限をしなければ42万人が亡くなるという仮説を採用したとしても、高齢者の余命1年あたりに、史上まれに見るほどお金が注がれた、と指摘する経済学者もいます。脳梗塞など寿命を奪う疾患への対策に、同じだけのお金は使われていません」
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