スティーブ・ジョブズは、なにがなんでもイサム・ノグチが欲しかった!
庭に置かれたイサム・ノグチの蹲
ジョブズが断ったのには理由があった。その時すでに、イサム・ノグチの作品を入手していたのである。再び原孝一さんに登場願おう。
「スティーブは、僕経由ではありませんが、98年前後にノグチの蹲を入手しています。石彫作品です。彼がブロンズではなく、どうしても『ノグチの石を!』と思った気持ちは僕にもよくわかります。石は、何千年もの間、地球に存在した自然そのものであり、ずっと人々とともに歩んできた。ノグチの石彫はまさに“天工(てんこう)の賜物”で、人類の歩みや営み、ぬくもりが伝わってきます。スティーブは、そうした人類の遺産をそばに置いておきたかったのでしょう」
石彫の制作には、石工との共同作業が欠かせない。ノグチが絶対的な信頼を寄せたのが、香川県牟礼町(むれちょう・現高松市)の石匠、和泉正敏(1938~2021)だった。2人のパートナーシップから数々の名作が生まれたが、和泉自身も卓越した石彫家で、原さんは、95年以降、インスタレーション・アーティストとして世界各国で和泉の作品展を展開している。
「スティーブは、石=イサム・ノグチの思いが強すぎたのか、あるいは、アップル復帰後の多忙な仕事や、40代後半に発病した癌との闘いで余裕がなかったのか、和泉さんの石彫に出逢う機会を逸してしまいました」と、原さんは少し残念そうだ。
ところが最近になって、ギャラリー・ジャポネスクに展示されていた和泉作品を買い求めた人がいた。
「それが、スティーブと一緒にピクサーを立ち上げたメンバーのひとりだったんですよ。人の縁を感じましたね。僕は、このごろのITの人たちと接していると悲しくなるんです。アートに想いがなさすぎるから。なんでも仮想空間で解決しちゃえばいいみたいな。反対に、スティーブは、アートが人の手になるもの、人と人の繋がりで創造されるもの、人の営みの源泉を伝えるものであることをわかっていました。彼には、見せかけじゃない本物のアートを求めてやまない情熱があった。それはつまり、スティーブが、人間というものを尊重していたってことなんです」
「アートは私たちの問いに答え、私たちの真実を伝える」ーーイサム・ノグチが遺した言葉だ。実はつい先日、私は、かつてシリコンバレーのジョブズ邸を訪れたという人に出逢った。彼女によれば、「イサム・ノグチの蹲は、スティーブの庭の中央にさりげなく置かれていた」という。
「芸術新潮」(2022年10月号)では、特集記事「風狂、スティーブ・ジョブズが愛した日本」を掲載している。
(一部、敬称略)
柳田由紀子(やなぎだ・ゆきこ)
アメリカ在住ライター。1963年、東京生まれ。日本エッセイスト・クラブ賞を受賞した評伝『宿無し弘文 スティーブ・ジョブズの禅僧』が先月、集英社文庫より刊行。訳書に『ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ』(集英社インターナショナル)ほか。