恩師、元チームメートが明かす村上宗隆の素顔 清宮への嫉妬、宮本コーチの説教に涙した秘話も

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涙を流した日

「肥後もっこす」という言葉がある。熊本人の気質を言い表した語で、良い意味で反抗し、自我を通す、「負けてたまるか」の精神といったところだろうか。

「負けず嫌い」「頑固さ」「意志の強さ」――幼少期からのエピソードを振り返ると、この「もっこす精神」が村上に脈々と流れていることがうかがえる。

「あれだけ遠くに打球を飛ばせる選手はそうそういない。順調に育てばヤクルトの、いや日本の4番打者になれると思っていました」

 とプロ入り後を振り返るのは、前出の宮本慎也・元ヘッドコーチである。

 高校で通算52本塁打を放った村上は、ドラフトでは清宮の「外れ1位」でヤクルトに指名された。

「1年目のシーズンの終わりの頃かな、バッティングフォームについてテイクバックをもっと深くしたらと言ったことがあります。でも、試しに振らせた瞬間、“あぁわざと変なスイングをしたな”と。彼は自分が納得しなければコーチの指導であろうと、従わない選手なんですね。後日談もあって、後に私と村上がテレビで共演した際、このエピソードを披露したら、村上は“そんなこと言われても打てるわけねえだろと思った”と言っていましたよ」

 やはり大物である。

 宮本元コーチが続ける。

「とにかく打ちたいという気持ちが前面に出ていて、打ち取られると悔しそうな顔をしていましたが、それは今も変わりません。走塁する時も力を抜いて走っている姿を見たことがない。ヘラヘラしたところが一切なく、最近の子に見られない貪欲さを感じますね」

説教され涙

 宮本元コーチはそんな村上に期待をかけ、厳しく接したという。それは技術より、練習に臨む姿勢に及んだ。

 2年目のシーズン、宮本氏に説教された村上が、思わず涙を流したというのは知る人ぞ知る逸話だが、

「それについては本当は話したくないんですけどね」

 と宮本氏が重い口を開く。

「村上は1軍に定着し、毎試合出場していた。まだ若いから出られるけれど、これから先10年、20年とやっていくためにトレーニングしようと開幕前に約束したのです。しかしシーズンも半ばを過ぎ、体力的にしんどくなってきたんでしょう。コーチから“今日はランニングに来なかった”“ウエートに姿を見せなかった”と報告が上がるようになった。約束をほごにされると意味が変わってきます。しばらく様子を見ていたのですが、一向に元に戻る気配を感じなかったので、1対1で注意をした」

 なぜ村上が涙を流したか、心中はわからないというが、

「後の彼の成績を見たら、それを受け止めて自らを変えていったのだろうと思いますよ」

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