「史上最短のトラス首相」と「史上最長のサッチャー首相」との間にある“指導者としての資質”の決定的な違い

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 英国のトラス首相は、10月20日に辞任の意向を表明した。9月6日の就任から45日目での辞意表明となり、史上最短の任期となる。

 トラス氏は、史上最長となる11年(1979年~1990年)ものあいだ首相の座を守り通したマーガレット・サッチャーを尊敬し、「サッチャー2.0」などと呼ばれることもあったが、まったく異なる結果となってしまった。

 トラス氏とサッチャーとでは何が違ったのか――。元在英国日本大使館公使で、現在は駐米大使を務める冨田浩司氏の著書『マーガレット・サッチャー―政治を変えた「鉄の女」―』(第28回山本七平賞受賞)には、二人の「指導者としての資質」の差を考えさせる記述がある。同書より一部を再編集してお届けする。

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 「変革の指導者」としてのサッチャーの資質をどのように評価すべきか。
 
 人間的に見たとき、サッチャーは複雑で、時として相矛盾する側面を持っていた。例えば、彼女は長年の議会での経験のおかげで政治的な老獪さを備えていたが、政治以外の部分では驚くほど世間知らずの面があった。
 
 1975年6月、野党党首時代のサッチャーは外国旅行中に補欠選挙で勝利したというニュースに接する。早速取材のカメラを前にチャーチルよろしくVサインを出したのは良かったが、手のひらではなく、手の甲をカメラに向けながら指を突き出し、広報担当者を慌てさせたという笑い話がある。担当者は彼女の仕草が下品なジェスチャーであることを縷々説明したが、最後まで何が問題かピンとこなかったらしい。

弱者に対する意外な気遣い

 サッチャーは対人関係において多くの欠点を抱えていた。議論において過度に攻撃的になったり、人前で面罵したりしたことで、閣僚との関係がこじれ、退陣の遠因となったこともあった。

 その一方で、サッチャー周辺の関係者からは、彼女が他者、特に、弱者や不幸な境遇にある人に対して、最高権力者とは思えないほどの細やかな心遣いを払ったことについて多くの証言が寄せられている。

 1985年春、炭鉱ストライキが終わった後、サッチャーはNUM(全国炭鉱労働組合)の指令に反して働き続けた炭鉱夫の夫人にねぎらいの手紙を書く。そして、秘書に対して署名した手紙を首相官邸の公式のものではなく、白地の封筒に入れて投函するよう指示する。裏切り者として敵対的雰囲気の中で暮らす家族のもとに、「ダウニング街10番地」と印刷された封筒が届くのは迷惑であろうという配慮である。一国の首相がそのような気遣いを行うことはなかなかできるものではない。

政治的確信の深さ、一貫性、知的真摯さ

 また、サッチャーは大変な慎重居士で、例えば、党大会など主要演説の作成作業はスタッフにとって大変な苦行であった。重要な政治的判断に際しては、9割方腹を固めても、最終的な結論は一晩寝てから下すのが常で、首相辞任の意向も首相府の責任者に伝えたのは、閣僚との面談を行った翌朝であった。その反面、必要な場合には、即断即決を辞さない胆力も備えており、フォークランド戦争においては模範的な指導力を発揮した。

 一方、いくつかの資質においてサッチャーは常に一貫し、曖昧さを示すことはなかった。そうした資質とは、政治的確信の深さ、一貫性、職務へのコミットメント、エネルギーなどであり、彼女が変革の指導者として成功した理由はこうした資質に求められる。

 そして、筆者が結論的に最も強調したいのは、彼女の圧倒的な真摯さである。それは、彼女が炭鉱夫の夫人に示したような人間的な真摯さや職務への忠実さだけをさすものではない。筆者が何よりも感銘を受けるのは、政治家としての知的真摯さである。

サッチャーが持っていた「愛されない覚悟」

 広報補佐官のインガムはサッチャーの政治家としての資質として、思想的確信、道徳的勇気、一貫性、仕事をやり抜く鉄の意志に加えて、「愛されることを望まなかったこと」を挙げている。この最後の点は、筆者が言う知的真摯さを異なる角度で表現したものである。

 政治選択には常にトレードオフが内在する。良いことばかりの施策は政治選択として提示する必要はないし、悪いことばかりの施策はそもそも選択肢として成り立たない。しかも、ある人(グループ)にとって良い選択肢が他の人(グループ)にとって好ましくないものであることもしばしばである。通常の政治においては、こうしたトレードオフを糊塗して、支持の最大化を目指すことが賢明とされているが、真の変革を達成するためには「愛されない」覚悟を持って自らの信念を訴えていくことが必要となる。

 サッチャーの「政治信念を実現可能性を備えた政治選択に昇華させる能力」は、彼女のこうした真摯さを国民が受け止めることを通じて発揮された。彼女に対する好意と敵意の両方が先鋭化するのも、彼女の体現するものが常に掛け値のないものであることが理解された結果であった。

 そして、その知的な真摯さの根底にあるのは、国家と個人の関係という、政治における最も根本的な問題への取り組みである。彼女は政治家としての人生を通じてこの問題から視線をそらすことがなかった。

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 政治的確信の深さ、一貫性、道徳的勇気、仕事をやり抜く鉄の意志、知的真摯さ……外交官として世界の指導者たちと接してきた冨田氏の著書からは、サッチャーが備えており、トラス氏に欠けていた「指導者としての資質」が浮かび上がってくる。

『マーガレット・サッチャー―政治を変えた「鉄の女」―』より一部抜粋・再構成。

デイリー新潮編集部

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