オリックス、日本一への“執念” イチローが躍動した1996年とつながる「歴史の糸」

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“神戸で胴上げ”に懸ける思い

 オリックスが、1996年以来、26年ぶりとなる日本一を目指す戦いは、2年連続の同カードとなった。ヤクルトとの日本シリーズ。その頂上決戦には、26年前と“同じ思い”が貫かれている。

 何としても、本拠地胴上げをやりたい――。

 26年前、オリックスがつかんだ「日本一」へのモチベーションは、この切なる願いに集約されていたという。

「神戸で胴上げ、日本一というような、すごい強い目標というか、思い。それが強く出たんですよね、96年は。それが、全部達成できたじゃないですか」

 当時のナインの気持ちを説明してくれたのは、オリックスのチームリーダーでもあった主砲・藤井康雄(前・阪神1・2軍巡回打撃コーチ)だった。

 阪神・淡路大震災で、本拠地・神戸が未曽有の被害を受けたのは1995年。オリックスはその年、イチロー、田口壮ら若き力の台頭がめざましかった。

 さらに、野手なら藤井、福良淳一(現・オリックスGM)、投手なら佐藤義則、星野伸之、野田浩司(いずれも現・野球評論家)といった中堅、ベテランら、個性豊かなタレントの力も、がっちりと噛み合った。名将・仰木彬監督の指揮のもと、オリックスが阪急を買収した1989年以降としては初となるリーグ優勝を果たした。

 ただその年、リーグ優勝を決めたのは9月19日、埼玉・所沢での西武戦だった。

「毎試合お客さんが増えていって、球場も満員になる」

 その直前、本拠地のグリーンスタジアム神戸(現・ほっともっとフィールド神戸)で行われた9月14日の近鉄戦、同15~17日のロッテ3連戦での本拠地4連戦のうち、1勝でもすれば、神戸での胴上げだった。

「僕らが、神戸の震災に遭われた方たちに、何で勇気を与える、何ができるのかといえば、野球で頑張っている姿というのを見せるしかない。ありきたりですけど、そうですよね。ただ、やっているうちに、毎試合お客さんが増えていって、球場も満員になる。そうすると逆に、我々の方が、こう、何と言うんですかね。励まされているような、そんな感じになってくるんですよね」

 常に、自分たちの背中を押し続けてくれた被災地・神戸のファンと、優勝の喜びを分かち合いたい。藤井が明かしたその熱き思いは、チームの総意でもあった。
ただ、その前のめりな気持ちが、ちょっとばかり空回りしたのかもしれない。

 まさかの4連敗。イチローはその時「神戸の人たちに申し訳ないです」と悔しがった。名将・野村克也監督率いるヤクルトとの日本シリーズでも、1勝4敗で完敗。神戸で、胴上げができなかった。

 優勝はできた。でも、どこかに物足りなさが残った。

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