安倍氏追悼演説が野田元総理になった舞台裏 本人は「話すことがないなあ」と苦悶
「自民党は足を向けて寝られないな。断られていたら、他には誰もいなかったよ」
こう胸をなでおろすのは自民党幹部。急死した安倍晋三元総理に手向ける国会での追悼演説の担い手が、紆余曲折の末に立憲民主党の野田佳彦元総理に決まったからだ。
総理経験者への追悼演説は“議会全体で弔意を示す”との趣旨から、野党第1党の党首級が登壇するのが慣例。実は、安倍氏が亡くなって早々から野田氏の名前は取り沙汰されていた。麻生太郎副総裁も周辺に「野田になるんじゃないの」と語っていたほどだ。
その理由には、菅直人元総理や枝野幸男前代表では「死を悼む場で嫌みの一つも言いかねない」(前出の自民党幹部)との懸念もあった。その点、野田氏は「長い間お疲れさまでした、と花を手向けてお別れしたい」と語って国葬に参列したように、安心感があるというのだ。
だが、調整を担う自民党の高木毅国対委員長は「ご遺族の意向」として、安倍氏の盟友だった甘利明前幹事長に依頼する方針を取った。これには、野党はもとより自民党内からも異論が噴出。当初、8月上旬に予定されていた追悼演説は先送りされてしまった。先の自民党幹部はいまでも悔やむ。
「8月に野田さんで追悼演説をやっていれば、超党派で弔う雰囲気も出ていたはず。国葬への反発も、これほど強まることはなかったかもしれない」
昭恵さんは“私はお名前を出していない”
では、なぜ甘利氏だったのか――。自民党のベテラン議員も困惑気味だ。
「昭恵夫人が“甘利さんにお願いしたい”って言ったのなら、その意向は無下にはできない。そこでご本人に確認したら“大きな声では言えないけど、私はお名前を出していないんです”と。だから、誰が甘利さんと言い出したのか、いまも分からないんだ」
さらに言葉を継いで、
「甘利さんは去年の総選挙後に幹事長から外されて、存在感を失った。だから追悼演説という檜舞台で“自分こそが安倍元総理の遺志を継ぐ存在”と党内外にアピールし、復権のきっかけにしたかったんだろう」
いまや永田町では“甘利自薦説”が定説だ。甘利氏は否定しているが、高木氏周辺は次のように証言する。
「早くから甘利さんは“追悼演説は自分がやることになったからよろしく”と言ってきた。誰かが決めたような口ぶりですが、要は自分で手を挙げたんですよ」
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