城島健司、陽岱鋼…ドラフトを巡る大騒動で“笑った人”“泣いた人”
争奪戦の末に“栄養費”問題が浮上
次は、1993年から導入された「逆指名制度」、その後、これを一部改めた「自由獲得枠制度」がなぜ廃止されたのか、説明しておきたい。
逆指名制度とは、高校生以外の選手を対象に、1、2位に限り、入団を希望する逆指名を認めたもの。一方、「自由獲得枠制度」は、大学生・社会人の選手2名と「自由獲得枠」で契約できる代わりに、3巡目の選手を指名できなくなるものだ。
2001年から「逆指名制度」から「自由獲得枠制度」にシステムが変更された。このシステム変更は、人気球団に戦力が集中をしないように、高校生と大学生・社会人の目玉候補の“両獲り”を防ぐのが狙いだった。
しかしながら、呼称やシステムは変わっても、水面下での“争奪戦”はさらに過熱していた。
04年8月、巨人が明治大の150キロ右腕・一場靖弘に食事代や交通費など「栄養費」という名目で約200万円を渡していたことが明らかになる。2ヵ月後には、横浜、阪神の栄養費供与が判明し、3球団のオーナーが引責辞任する前代未聞の騒動に発展した。この一件を機に、高校生と大学生・社会人の分離開催となった翌05年のドラフト会議から「自由獲得枠」も2から1に減り、「希望枠」と改称された。
「希望枠はトラブルの象徴」
だが、裏金問題はこれで一件落着とならず、07年3月、今度は西武が、前年横浜の3巡目指名を拒否した東京ガスの左腕・木村雄太と、早稲田大在学中の内野手に栄養費や大学卒業までの費用を供与していた事実が明るみになる。
相次ぐプロ側の不祥事に、日本高野連、日本学生野球協会、日本野球連盟のアマ3団体は「希望枠はトラブルの象徴」と撤廃を申し入れ、ドラフト会議の完全ウエーバー制化を要望していた選手会も、同年から始まるクライマックスシリーズのボイコットを示唆した。
この結果、「希望枠」は同年のドラフト会議から廃止され、14年間続いた選手が球団を逆指名できる制度もついに終わりを告げた。ちなみに、木村は栄養費問題での謹慎を経て、08年のドラフト会議で1位指名され、ロッテに入団している。
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