玉川徹氏とテレビ朝日に決定的に足りなかったもの 危機管理コンサルタントの分析は
「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日)でレギュラーコメンテーターを務めるテレビ朝日社員の玉川徹氏が、番組内で不適切な発言をしたことで、10日間の出勤停止の謹慎処分を受けた。
きっかけは安倍元総理の国葬についての「当然、これ電通が入ってますからね」というコメント。
多くの感動を呼んだ菅元総理の弔辞が、実は「電通の演出」であると断じたのだが、まったくのうそだったことが問題視されたのである。
玉川氏は翌日番組で謝罪したものの、風当たりは強く、謹慎処分へとつながったのだ。
かばう意見もあるのだが、批判はいまだやまず、「処分が甘すぎる」「当然、降板すべき」といった声も聞こえてくる。
玉川氏とテレ朝の危機管理に問題はなかったか。
危機管理の専門家である(株)リスク・ヘッジ代表の田中優介氏に聞いてみた。
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最低限のチェックをしていない
懲戒処分というのは企業の就業規則に定められているものです。
処分には一般的に7段階あります。軽いほうから「訓告・けん責・減給・出勤停止・降格・諭旨解雇・懲戒解雇」ですから、玉川氏の場合はちょうど真ん中の処分といえましょう。
そう見ると処分としては厳しすぎるわけでも甘すぎるわけでもないという印象を受けます。しかし、危機管理として見るならば、玉川氏もテレ朝も少し甘いと言わざるを得ません。
まず、事実関係をおさえておきましょう。
玉川氏の問題とされている発言は、以下の通りです(9月28日放送)。
「僕は演出側の人間ですからね。テレビのディレクターをやってきましたから、それはそういうふうに作りますよ、当然ながら。政治的意図がにおわないように、それは制作者としては考えますよ。当然これ、電通が入ってますからね」
事実ではないということで、謝罪に追い込まれたのが「当然これ、電通が入ってますからね」という部分でした。
たしかに7月の下旬には国葬について電通が仕切る可能性を伝える報道が一部でありました。
しかし、結局、委託先については「桜を見る会」を運営したイベント会社が落札したと9月上旬に報道されていました。
そのこと自体が問題だという報道もあったくらいですが、玉川氏の中で情報が更新されなかったのでしょう。
ジャーナリストとして最低限必要な情報のチェックを怠ったわけですから、危機管理の観点では「危機の予防」が甘かったと言わざるを得ません。
もう一つ、多くの人が指摘していますが、「僕は演出側の人間」だから「そういうふうに作る」といった発言も、軽はずみでした。彼の真意ははかりかねますが、自分が伝えるニュースには「演出」が入っていて、意図を込めて「作られた」ものだ、という意味に受け止められる言葉だからです。
賛否が分かれていた国葬儀についてコメントするには、あまりに不用意で、危機の予防の意識が低かったということです。
根拠やロジックがない
危機管理においては、危機が起きたあとの「展開の予測力」がもっとも求められます。
しかし、これもまた欠けていたように感じます。電通のような大手広告代理店はテレビ局にとっては広告収入の頼みの綱です。
さらに菅元総理は元総務大臣であり、総務省は放送局の監督官庁です。
そんな鬼門というべき両者を根拠もなく批判したら、どんな展開が待っているのか。予測して慎重になる必要があったと思われます。
この点では、テレビ朝日も甘かったと言われる余地があると思います。
これまでも玉川氏は歯に衣着せぬ発言が何度も問題視され、安倍元総理の国葬にも異を唱えてきたことから、今回のような発言は予見できたはずです。
もちろん、批判的な見解を示すことは自由です。しかしどのような根拠やロジックで批判するのかについては、事前の打ち合わせにおいて、プロデューサーらと詰めておく必要があったでしょう。
「遺憾」の軽さ
篠塚浩社長は定例会見で玉川氏の発言について「事実に基づかない発言があったことは誠に遺憾」と謝罪しました。
これも問題です。「遺憾」とは残念という意味なので、どこか罪の意識が低くて人ごとのような印象を与えてしまいます。私は授業や講演、著書でも「謝罪の場面では、遺憾・誤解・お騒がせし・知らなかった・まい進(するのが私の責任)という五つの言葉は禁句です。頭の文字をつなげるとイ・ゴ・オ・シ・マイになりますが、その通りの展開になりますから」といつも述べています。
遺憾ではなく「慙愧(ざんき)に堪えません(恥ずかしくてならない)」と述べるのが正解です。
拙速な再生
そして、玉川氏の番組への復帰の時期を処分の直後に表明してしまったことも、展開の予測が不十分だったゆえではないかと思います。
少し間を置いてから「視聴者の皆様から復帰を望む声を多数いただきましたので」と納得性の高い理由を伝えてから発表したほうが、視聴者から受け入れられやすい展開になったのではないかと思います。
新著『その対応では会社が傾く―プロが教える危機管理教室―』でも触れたのですが、危機管理には「感知・解析・解毒・再生」という四つのステップを踏むというセオリーがあります。危機を感知し、その詳細や状況を解析したあとに、ネガティブな評価などを解毒していって、それから再生に取り組む。
つまり再生する前に解毒が必要です。
玉川氏の件でいえば、再生が復帰だとすると、解毒は世の中が「十分反省しているからもういいじゃないか」と納得する状態になることです。
ところが、早々に再生の時期を決めてしまった。
10日間の出勤停止――これでは「単なる長期休暇と大差ないじゃないか」と言われても仕方がありません。
これまでこの番組に限らず、テレビ朝日のニュース番組、情報番組では、数多くの失言、問題発言を取り上げてきたはずです。
その際に、発言の主が謝罪したら「謝ったからもういいじゃないか」というスタンスを取ってきたでしょうか。
多くの場合、「謝って済むことではない」「なぜそのような発言になったのか、もっと詳細を説明せよ」「勘違いでしたでは済まされない」「本音が漏れただけではないのか」「根本的な問題だ」「早く会見を開け」等々、厳しい目を向けてきたはずです。
当然、自身が虚偽の情報を流したこと、ニュースに演出が入っていると取られるような発言をしたことについては、他者に求める以上の丁寧な説明や対応が求められるはずです。
しかも多くの場合、説明や会見が遅いことも舌鋒鋭く批判してきたでしょうから、簡単な通り一遍の謝罪や説明では、「不十分だ」という批判を浴びる展開になることは予見しなければならないのです。
本人をいったん番組から外したのならば、会社側が丁寧な対応をする必要があるのですが、一般視聴者には玉川氏が謝って、勝手にテレビ朝日が内輪の論理で処分を決めて、復帰時期を決めたように見えているのではないでしょうか。
こうして、予防の点でも、危機発生後の対応という点でもミスを続けてしまったがゆえに「番組降板」が伝えられるような事態にまでなってしまったのです。
このような対応では、たとえ降板しても一件落着とはならない「展開」が予測できます。
なぜなら、今まで多くの場面で「辞任で幕引きとはならない」「説明責任を果たしていない」というロジックを用いて、他者を厳しく批判してきた過去があるからです。
ある意味で、玉川氏はそうした批判の急先鋒を担ってきたわけですから、同じロジックで責められる可能性は高いでしょう。降板、退社といった選択をした場合に、一定程度批判は弱まるかもしれませんが、フリーとして活動した場合にはこの件をひきずることになります。
テレビ朝日にとっては、玉川氏のようなコメンテーターは貴重な存在だったはずです。
好き嫌いはあるでしょうが、好んで番組を見てくれている視聴者の溜飲を下げてストレスを発散してくれる役割を担っているからです。
しかし、今回のような危機対応を続けているようでは、こうしたコメンテーターを使い続けることが困難になるのではないでしょうか。
今回の件を個人の資質の問題だとして片付けると、「トカゲのシッポ切りだ」といった批判が玉川氏のファン、アンチ双方から浴びることにもなりかねません。
このような状況からの巻き返しというのは極めて困難です。だからこそ危機管理においては初期の対応や事の進め方が重要なのです。
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田中優介(たなか・ゆうすけ)
1987(昭和62)年東京都生まれ。企業の危機管理コンサルタント。明治大学法学部卒業後、セイコーウオッチ株式会社入社。お客様相談室、広報部などに勤務後、2014年株式会社リスク・ヘッジ入社。同社代表取締役社長。