【舞いあがれ!】登場人物は普通の人々、物語も劇的ではない…それでも視聴者の胸をうつ理由

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めぐみのセリフにも余白

 余白はめぐみのセリフにもあった。同じ第9話。祥子からの電話で舞の回復と成長ぶりを聞いためぐみは喜び、「かあちゃん――」と言ったが、そこで言葉が止まった。通常、次のセリフは「ありがとう」のはずである。だが、めぐみは「よか、なんでもなか」とはぐらかした。

 めぐみのような立場になったら、誰だって簡単には思いを言い表せないだろう。セリフにしないことで生まれるリアリティもある。

 めぐみが祥子に向かって「ありがとう」と言ったのは次の第10話。舞が元気になり、五島を去る時である。めぐみが迎えに来た。

「かあちゃん、ありがとうございました」(めぐみ)
「およ」(祥子)
「これからはウチがちゃんとやるけえ」(めぐみ)
「がんばりすぎんとよ」(祥子)

 14年前の2人とはまるで違った。当時、祥子はめぐみには妻や母親が出来る はずがないと厳しく言い放ち、一方でめぐみは「勝手に決め付けんでよ。絶対ちゃんとやってみせるけん」と強く反発した。

 それが今度は「ちゃんとやる」と言う娘に対し、母が「がんばりすぎんな」といたわった。これも人情の機微である。孫の存在と時間の経過が解決してくれる親子関係はある。貧困や肉親の死など劇的な展開を用いなくてもドラマは十分成立する。

演技も出色

 出演陣の演技もいい。高畑淳子は劇団青年座の絶対的エースで、舞台ではいかなる役もこなすが、過去のドラマではキャリアウーマンや悪女役が多かった。祥子役はドラマでのベストプレイではないか。

 舞とめぐみが話している場面で自分は隅にいようが、常に目が2人を追いかけ、感情をしっかりと表していた。舞、めぐみと食事をしながら話していてもセリフが完璧に聞き取れた。さすがである。

 演技派として名高い永作も出色。一例は第6話。五島から東大阪の自宅に帰宅し、浩太から「お母さん、元気やったか?」と問われると、何も口にしない。14年の空白があったし、舞を置いて帰って来たからだ。

 その時の複雑な表情が良かった。口を真一文字に結び、目を大きく開き、不自然に笑い、うなずいた。ほんの3秒ほどのシーンだが、めぐみの言い表しにくい心境が伝わった。

 舞役の浅田もいい。まず、9歳だから当たり前だが、仕草や表情が子供らしい。第6話で寝坊をしてしまい、じたばたした姿もそうだった。

 舞と一太ら五島の友人たち、東大阪のクラスメイトの描写もごく丁寧で真に迫っている。1981年の映画「泥の河」(監督・小栗康平)や1990年の同「少年時代」(監督・篠田正浩)などを彷彿させる。

 第3週以降も期待できる。見逃したら損だ。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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