ドラ1指名は確実だったが…プロ入りを拒否したドラフト“超目玉選手”のその後
“1億円より(初任給)16万6600円を選んだ男”
それから17年後の1988年、同じ慶応大の左腕でドラフト最大の目玉だった志村亮がプロ入りを拒否し、世間を驚かせた。
大学通算31勝、歴代2位の14完封、リーグ新の5試合連続完封、53イニング連続無失点と圧倒的な実力を見せつけた志村だったが、3年生の時点で「プロには行きません」と自らドラフト候補であることをやめていた。
だが、即戦力左腕は、どの球団も喉から手が出るほど欲しい。日本一から7年遠ざかり、チーム再建を急務とする巨人も獲得をあきらめず、慶大OBの藤田元司監督がラブコールを贈ったが、志村は「プロ野球は見て楽しむもの。自分が身を置こうとは思わない」と靡くことはなかった。
そして、10月中旬に志望していた三井不動産への就職を決めた。マスコミはそんな志村を“1億円より(初任給)16万6600円を選んだ男”と呼んだ。
一方で、同社の会長が巨人の財界応援団「パレス会」のメンバーだったことから、“密約説”が囁かれ、巨人のサプライズ指名を予想する声もあったが、11月24日のドラフト会議では、巨人はもとより、どの球団も志村の指名を回避した。
直後、志村は野球部合宿所に集まった約50人の報道陣を前に「指名されないと思っていましたので、やっぱりという感じです。早く6位まで終わらないかなと思ってました」とさばさばした表情で語った。
三井不動産入社後の志村は、軟式野球部に所属し、硬式の社会人クラブチーム「WIEN‘94」(その後WIEN’Zに名称を変更。2021年4月に解散)でも、監督、選手として“趣味の野球”を楽しんだ。プロ入りしなかったことについて、30年以上経った今でも「後悔したことは1回もない」という。
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