なぜ日本と中国はここまで相性が悪いのか 「悪党」が統治し、民主主義を弾圧してきた歴史
民主的な思想家が弾圧されてきた歴史
「倭寇」はこのように目前の香港・台湾の“母胎”であると同時に、正常な日中国交が難しいことを立証してくれる歴史事象でもある。それなら現代の中国をめぐるありようも、明代(1368年~1644年)にまでさかのぼって考えてみるべきだろう。
明王朝を事実上つくったのは、1402年に即位した第3代皇帝の永楽帝。謀反を起こして帝位を奪い、数万人を虐殺したという悪党だった。そして、この明王朝を事実上滅ぼしたのは、1620年に崩じた万暦帝である。その在位の半世紀、「天性の浪費家」でぜいたく三昧、宮廷にひきこもって政務をかえりみず、人民の怨嗟をまねいた悪党だった。二帝にとどまらない。歴代君主は、そろいもそろって暗君・悪党ばかり。にもかかわらず、永楽・万暦をはじめ、ほとんどが天寿を全うしているのだ。
同じ明代には一方で、「儒教の反逆者」と呼ばれた思想家・李卓吾(1527年~1602年)がいた。自己に率直であれ、偽善は以ての外、権威・宗教のいいなりになるなかれ、ととなえると同時に、大衆の親しんだ講談をもとにした口語小説を尊重し、自然な心情・欲望を肯定した人物である。言論・信仰の自由をもつ現代日本人の共感できる言説、また庶民・民間・社会に寄りそう「近代」精神といってよい。
ところがそんな彼は世に容れられず、迫害をうけたすえ、獄中で自刎(じふん)して果てた。万暦帝と同時代人、当時は体制教学だった儒教からみれば、李卓吾はまぎれもなく「反逆者」であり、中華帝国の風上にも置けない「悪党」だったわけである。
中華帝国史上の「悪党」たち
どうやらこのあたりに、現代の日中国交の逆説が起源しているとみえる。中央政府そして「中華民族」という権力・権威からすれば、体制イデオロギーに背いて在地の民意の側にたつ李卓吾、そして香港や台湾は、正すべき「悪党」であり、彼らに共感する日本もまた「悪党」なのである。しかしわれわれ日本人の感覚からすれば、民意を抑圧する中華帝国、「一つの中国」を強行する中国政府こそ、強権をふるう「悪党」にほかならない。
拙著では、李卓吾をふくめ、そんな矛盾を体現する人物およそ12人をとりあげている。「正常化」からまだ半世紀、しかしお互いを「悪党」とみる日中が、「正常」な「国交」を円滑にすすめるのは、やはり無理がある。とすれば、あらためて中国の内在論理と日中関係を歴史からみなおして、身の処し方を考えなくてはならない。中華帝国史上の「悪党」の事蹟を学ぶこともまた、そのよすがとなるだろう。
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