なぜ日本と中国はここまで相性が悪いのか 「悪党」が統治し、民主主義を弾圧してきた歴史

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一国二制度

 広大な東アジアには、当然いろんな地域がある。一口に中国人といっても、その暮らすところや暮らしぶりはまちまち。古来、種々多様なユニットのコミュニティーが分立並存しているのだ。

 そして、それらを統合するのが、史上歴代王朝の使命・イデオロギーであった。現在の共産党政権も、王朝とは名乗っていないものの大して変わらない。「中華民族の復興」とか「中国の夢」というスローガンが、かつての王朝イデオロギーに相当するのである。

 とりわけ周縁部にあるユニットは、外国がからむと体制まですっかり異なってしまう場合すらあった。そうしたケースは100年以上前からあり、中でもイギリスが関わったのが香港、日・米が関与したのが台湾である。いずれも大陸の政府とは、体制・制度・思想ともにかけ離れてしまった。そこで統合のために「一国二制度」が必要となる。北京政府は「一つの中国」を実現すべく、漸進的に一体化をはかろうとした。

 ところが「二制度」を認めているかぎり、遠心力が働きつづけ、周縁部のユニットは大陸の政権からどんどん離れてしまう。北京政府はこれを力ずくで抑えこまねばならず、2020年6月の香港国家安全維持法を通じた強権の発動や最近の台湾に対する軍事演習の威嚇は、そんな恐怖・危惧の裏返しであった。武力で民主派を弾圧し、民主主義を威圧する。北京の政権およびそれを率いる指導者の姿は、まさに「悪党」。これでは「国交正常化」を記念する気にもならない。

台湾、香港の立ち位置

 日本もまた、中国大陸と同じ東アジアに存在する多くの地域ユニットの一つである。体制や思想の似た香港・台湾に共感するのは当然で、反対に香港・台湾を離反したとみなす中国が、その離反に共感する日本を快く思わないのも、また道理である。もっとも、このような関係は、今に始まったことでもない。

 台湾が中国を離れたのは日清戦争から、香港はアヘン戦争から。日本が1894年に勢力拡大を狙って起こしたのが日清戦争で、イギリスが1840年、貿易拡大をめざして起こしたのがアヘン戦争だった。その結果、台湾が日本の、香港がイギリスの植民地になったのだから、いかにも帝国主義列強の侵略にみえる。

 しかし台湾はかつて、17世紀にはオランダの東インド会社が占拠したり、その勢力を追い出した鄭成功が政権を樹立するなど、大陸とは異なる勢力の拠点だったし、香港のすぐそばには16世紀以来、ポルトガル人が居留地にしてきたマカオがある。いずれも中央政府の実効支配は希薄で、もともと離れていた地だった、といえなくもない。

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