ウィンブルドン最多優勝・ナブラチロワ ヨネックスとの知られざる秘話(小林信也)
3歳のころ母が再婚。新しい父の名がナブラチル、その女性形がナブラチロワ。それで彼女はマルチナ・ナブラチロワになった。
テニスに出会ったのは、その両親の影響だ。春、両親は小さなテニスクラブでダブルスの試合を楽しんだ。その間、マルチナは祖母のラケットで壁打ちに興じた。自伝『ナブラチロワ テニスコートがわたしの祖国』にこうつづられている。
〈両親は何かほかの遊びをさせようと私を壁から引きはなしますが、ふたりが見えなくなると、私はまた壁の前でラケットをかまえるのです〉
〈6歳くらいのころ、いつものように壁打ちをしていた私を、父が赤土のコートに連れ出してくれました。(中略)赤土のコートに、足をはじめて踏み入れたときの感触をいまでも覚えています〉
そのころは〈チビで骨と肉だけ〉だが、動きが飛びぬけて素早く、エネルギーに満ちていた。父はまもなくマルチナの才能に気付き、チェコで一番の名コーチと評判のジョージ・パルマに指導を依頼する。
1965年秋、マルチナは父に連れられ、プラハから赤い路面電車でパルマのいるクラロブカを訪ねる。
「坊っちゃんは、おいくつですか?」
パルマはマルチナを見て言った。短い髪、ガリガリの体のマルチナを男の子と勘違いしたのだ。そして、
「とにかくボールを打ってみて、だめでしたらこの場でお断りすることになりますが……」
そう言ってテストを始めた。パルマはマルチナと約30分打って父に告げた。
「私たちは彼女の力になれるでしょう」
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