Mattにぺこぱ・シュウペイ…なぜ令和のタレントは“ママ自慢”したがるのか?

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母親が出てくるのは恥ずかしい? どんなに好きでも身内は隠す存在だったかつての芸能界

 かつての芸能界を振り返ると、身内が堂々と出てくるのは恥ずかしいものという意識が強かったように思う。吉本芸人に顕著だが、母親の顔出しは罰ゲーム的な演出で使われることが多かった。ダウンタウン・松っちゃんを筆頭に、フットボールアワー・後藤さんやFUJIWARA原西さんのお母様たちを思い出す。母親の登場に顔色を失う人気芸人たちを見て笑い、芸達者な母親とのやり取りを見てまた笑う。人気の芸人をやりこめる面白い「オカン」は、令和のようにストレートに賛美や感謝を伝える存在ではなく、やや道化的な形で「母の偉大さ」を証明する側面が強かった。

 また美空ひばりさんや宮沢りえさんらに代表される「ステージママ」は、眉をひそめられることも多かったのではないだろうか。前のめりにメディアで娘を売り込み、素人なのに仕事に口を出すと報じられ、世間に戸惑いと反感を生んだ。娘の知名度を元手にタレント転身した安達祐実さんの母・有里さんのような人もいるが、相当バッシングされていたものだ。

 どんなに美人だろうと敏腕だろうと自慢だろうと、同じ画面で母親とニコニコ映りたがるのは幼稚。親子の絆のお涙ちょうだいで好感度を稼ぐのは野暮。そういう暗黙の了解があったからこそ、謎めいてカリスマティックな歌手や芸人、俳優が多数生まれた時代だったのかもしれない。剃刀のような雰囲気のビートたけしさんが、最愛の母を失った時には泣き崩れていた姿を思い出す。どれほど母親を自慢に思っていたかは、死に目でようやく世間に明かされるもの。それくらい極端な線引きが、令和以前はスタンダードだったのではないだろうか。

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