幼い娘の死、借金地獄… アントニオ猪木に翻弄された「5人の女性」とは
兄たちの借金の尻ぬぐい
前出の永島氏の話。
「猪木は尚美さんを大阪の空港で見初めたんだ。機内でも運よく隣の席に座ることができてね。“素晴らしい女を見つけた”って喜んでいましたよ」
尚美さんは結婚翌年、男児を出産。政治家・猪木を私生活の面で支える存在となっていく。が、彼女もまたこれまでの妻と同様、借金苦に苛まれた。
猪木の元秘書がこう明かす。
「猪木は兄たちが作った借金の尻ぬぐいをいつもしていました。猪木本人も金に無頓着で、尚美さんは家計に入るお金が少ないと悩んでいました」
94年には税金未納問題をスポーツ平和党の前幹事長らから告発され、翌年の参院選であえなく落選。
その後、生活の拠点をロサンゼルスに移すが、猪木は日米を行き来しており、その間に“4番目の女”の座に納まったのが、16歳年下の田鶴子(たづこ)さんである。
永島氏の話。
「あだ名はヅッコ。テレビの制作会社のスチールカメラマンでね。猪木の写真集を作りたいというので、あるゴルフコンペで私が猪木に紹介したんです。それがいつの間にかデキていて、籍まで入れたと聞かされた時には驚きました」
2010年代前半、田鶴子さんが六本木で経営していたバーには、連日のように猪木が入り浸っている姿が目撃されていた。猪木は12年に尚美さんと離婚し、17年に田鶴子さんと入籍するのである。が、
「猪木さんがヅッコさんと交際するようになってから、周囲の人間が猪木さんにアクセスするのが格段に難しくなりました。周りの人間はいつも猪木さんの名声を利用することしか考えておらず、田鶴子さんはそうした人間を極力排除しようとしたのでしょう。けれどもそのことが時に、周囲との間にあつれきを生んだのも確かです」(前出・知人)
介護担当を外されて
周りとの交遊が減ったのは、猪木の体力の衰えも理由だったろう。田鶴子さんは長年の戦いで傷んだ猪木の巨体を毎日のようにもみほぐすなどの献身を見せたが、19年、62歳ですい臓がんにより亡くなった。
その田鶴子さんから直接、猪木の世話を託された5番目の女性。それが田鶴子さんのアシスタントだった山下友江さん(仮名)だ。
「山下さんは50代半ば。付きっ切りで猪木さんの世話をしてきました。彼女が自宅に帰る時だけ、ヘルパーさんが交替で入る。猪木さんは山下さんをとても信頼していました」(同)
だが、この8月に猪木のマネジメントが新会社に移されると、山下さんは田鶴子さんが役員を務めていた旧マネジメント会社の関係者であることを理由に、介護担当から外されてしまう。
猪木の命の灯が消えたのは、そのわずか2カ月後。
かくて女性に寄り添われて歩んだ波乱の人生に終わりを告げるゴングが鳴った。
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