幼い娘の死、借金地獄… アントニオ猪木に翻弄された「5人の女性」とは

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倍賞がプロレスに与えた影響

 猪木はこの逆境にうちひしがれるどころか、持ち前の闘魂の燃料にした。

 まず、愛の巣となるはずだった世田谷の自宅を道場に改装。自らスポンサーを訪ね歩いて1500万円にのぼる資本金をかき集め、新日本プロレスを設立したのである。

 新日の旗揚げに際して、新妻の倍賞が果たした役割は小さくなかった。

「倍賞さん自らリングに上がって選手紹介を行ったり、宣伝カーのナレーションを吹き込んだりして、新団体の宣伝に一役買いました。女優である彼女の影響を受ける形で、プロレス自体も“見せ方”にこだわるようになったんです」(同)

 結婚から3年後には娘にも恵まれる。倍賞と過ごした時期はレスラーとしての黄金期でもあった。76年のモハメド・アリとの「世紀の一戦」も、当時こそ凡戦だなどと酷評されたが、今では総合格闘技の嚆矢(こうし)だったと評価されている。

「猪木が歴代の奥さんで一番好きだったのは…」

 だが、その夫婦生活にも亀裂が入り始める。

「猪木の兄が金銭にルーズで、猪木本人もブラジルでの農業ビジネスで数十億円の借金を作ってね。首が回らなくなったんです。それに加えてオンナ遊びまで露見してしまった」

 新日本プロレス元取締役の永島勝司氏が言う。

「猪木が歴代の奥さんの中で一番好きだったのはみっちゃん、倍賞美津子ですよ。二人の結婚生活の最後の方でみっちゃんがショーケン(故・萩原健一)との密会を写真誌に撮られたことがあったんだ。その時は烈火のごとく怒っていました」

 夫妻は88年に離婚。しかし、早くも翌年、猪木に3番目の女が現れる。

 猪木は46歳にして89年夏の参院選にスポーツ平和党党首として出馬。その記者会見の席上で、築地魚市場の幹部を父親に持つ新夫人、尚美さんをお披露目したのである。

 世の耳目を集めたのが、猪木の22歳年下という尚美さんの若さ。そして六本木のコンパニオン派遣会社で事務職として働いていたという“普通の経歴”だった。

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