幼い娘の死、借金地獄… アントニオ猪木に翻弄された「5人の女性」とは
「パパはなんでおうちに来てくれないの?」
二人の間に女の子も生まれるなど、実り多き米国修行。猪木は66年に晴れて帰国すると、東京プロレスを設立して社長に納まる。
しかし、先輩がギャンブルでこさえた5千万円もの負債を東プロで肩代わりしたせいで、旗揚げ前から借金塗(まみ)れに。興行もうまくいかず、結局、東プロは1年も経たずに崩壊。翌年、日プロに復帰するも、5千万円の借金だけが手元に残った。
この騒動に巻き込まれたのが、米国から連れてきた妻と娘だ。
「ダイアナさんは米国と風習が違う日本での暮らしに戸惑っていました。猪木も彼女をサポートしてあげたかっただろうに、東プロの旗揚げと債務の返済に追われ、それどころじゃなかった。さらに猪木の海外遠征先でのオンナ遊びもバレて、彼女は日本での生活に嫌気がさし、68年に娘を連れ帰国してしまいます」(同)
その後、5歳になった娘とハワイで再会するも、
「パパはなんでおうちに来てくれないの?」
無邪気にそう聞かれた猪木の胸に、こみ上げるものがあったという。そして、その場を限りに父娘は二度と再会することがなかった。
「娘は小児がんを患って8歳で亡くなっています。この話になると、猪木はいつも涙ぐんでましたね」(同)
1億円近くの債務を背負い込むことに
2番目の運命の女性、それは今年76歳になる女優・倍賞美津子だ。猪木は先輩を通じて彼女と知り合い、ダイアナさんと別れた後に本格的な交際を始める。
「付き合い始めてまもなく、猪木は倍賞さんと“世界チャンピオンになったら婚約を発表する”という約束を交わしています」(同)
登り調子の28歳のレスラーは71年3月、ユナイテッド・ナショナル・ヘビー級チャンピオンのベルトを取り、約束どおり婚約を発表。
その年の11月、おそらくは当時の最高額となる「1億円挙式」を東京・新宿の京王プラザホテルで催し、世間の話題をさらった。
ところが、それから1カ月半後、思わぬ事態が猪木を襲う。会社を乗っ取ろうとしているのではないかとの嫌疑をかけられ、日プロを追放されたのだ。
当時を知る人物の話。
「猪木は披露宴の費用を日プロに負担してもらうつもりでいましたが、それもオジャンに。今度は1億円近くの債務を背負い込むことになりました」
[2/4ページ]