朝ドラ「舞いあがれ!」で感じる脚本家のチカラ さだまさしのナレーションはなぜ少ないのか

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脚本家・桑原亮子さんの言葉の力

 桑原さんの脚本には観る側にクビを捻らせるところがない。その桑沢さんは早大卒業後、ドラマや映画が好きだったので、脚本の道に進んだ。テレビではなく、ラジオを選んだ。

 ラジオの脚本はテレビより言葉の力が要求される。映像がないから当然である。2013年からNHK-FMでドラマを書き、極めて高い評価を得た。

 テレビの連ドラ第1作は2020年の同「心の傷を癒すということ」。セリフの緻密さ、美しさが賞賛された。

 桑原さんはやはり言葉の力が求められる短歌も詠む。1954年に発足した「塔短歌会」の会員だ。2011年1月に皇居・宮殿で行われた「歌会始の儀」では入選者10人のうち1人にも選出された。並大抵の技量ではない。

 半面、桑原さんは言葉を使わない表現も絶妙。第3話。舞が紙コップや毛糸で何かをつくっていた。その後、めぐみと一緒に五島に向かった。

 2人の旅立ちに小6になる舞の兄・悠人(海老塚幸穏)はむくれていた。自分の私立中受験を控えているにもかかわらず、家は舞を中心に回り、今度は浩太との2人暮らしを強いられるからだ。このため、出発間際のめぐみに毒づいた。

「受験まであと9か月しかあらへんねんで」(悠人)

 2人が出て行くと、悠人の机の上にはけん玉が載っていた。舞はこれをつくっていたのだ。悠人は何気なくそれに興じると、簡単に成功する。玉には「合かく」と書かれていた。

 舞はわざと簡単にしたに違いない。本来、けん玉の上部はけん先であり、そこに玉を刺すが、舞の特製けん玉は上部が特大の皿になっていた。

 小6の悠人が自分の受験のことで頭が一杯になるのは仕方がない。一方で舞は自分のせいで悠人に迷惑を掛け、申し訳なかったのだろう。

 五島で舞が一緒に暮らすことになった祥子も言葉が少ない。だが、それによって劇団青年座の絶対的エース・高畑淳子の名演が際立っている。

 めぐみが舞の一挙一動を見ていることに祥子は不安と不満を抱いていた。舞にマイナスと考えた。当初はそれを口にしなかったが、めぐみが舞の世話を焼き、声を掛けるたび、厳しい目で見た。

珠玉だった第5話

 第4話。ついに祥子は我慢できなくなった。舞の磯での校外学習をめぐみがあきらめさせようとしたところ、声を荒らげた。舞の意思がめぐみによって押し潰されそうになっていたからだ。

 無論、めぐみとしては舞のためを思ってのこと。祥子もまためぐみと舞のことを考えているのは言うまでもない。

 第5話は珠玉だった。ついに祥子はめぐみに向かって「しばらく島から離れたほうがよか」と告げる。

 それを告げた時は夕食中だった。祥子はめぐみを一切見ず、目を伏せたまま、黙々とハシを動かした。祥子だって辛いのだ。

 娘と孫を好きで引き離す祖母などいない。まして祥子はめぐみと15年ぶりに再会したのだ。

 めぐみが船で五島を去る際、舞はその姿が船内に消えるまで泣かなかった。それを祥子は「よう頑張ったな」と誉める。すると舞は堰を切ったように泣き出す。

「私と一緒にいたら、お母ちゃんしんどそうだから。お母ちゃん、私にここ残って欲しいと思ってる。そやから帰られへん」(舞)

 その後、祥子と舞は海沿いに歩く。めぐみと舞はいつも並んで歩いていたが、この2人は違う。舞は祥子から1メートルほど後ろをとぼとぼと付いてきた。

 祥子と舞の関係がまだ近くないことが表されていた。祥子の存在の大きさと舞の心細さも表現された。美しい映像だった。

高堀冬彦(たかほり・ふゆひこ)
放送コラムニスト、ジャーナリスト。大学時代は放送局の学生AD。1990年のスポーツニッポン新聞社入社後は放送記者クラブに所属し、文化社会部記者と同専門委員として放送界のニュース全般やドラマレビュー、各局関係者や出演者のインタビューを書く。2010年の退社後は毎日新聞出版社「サンデー毎日」の編集次長などを務め、2019年に独立。

デイリー新潮編集部

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