朝ドラ「舞いあがれ!」で感じる脚本家のチカラ さだまさしのナレーションはなぜ少ないのか
NHK連続テレビ小説の新作「舞いあがれ!」が2週目に入った。名作になることを予感させる。歌人でもある桑原亮子さん(42)の脚本は繊細かつ緻密。主人公・岩倉舞の少女時代を演じている浅田芭路(9)や母親・めぐみ役の永作博美(51)、祖母・祥子役の高畑淳子(67)の演技も出色だ。
【写真】母を演じる「永作博美」 とても“51歳”とは思えない
質の良い短編小説のよう
3日から7日までの第1週は「連続テレビ小説」の看板通り、まるで質の良い短編小説だった。ごく自然にその世界に入れる人が多いのではないだろうか。
その理由の1つは直接的な説明を極力廃しているからにほかならない。小説もそうだが、説明が多いと興ざめする。物語の世界に入り込みにくい。
この朝ドラが説明を避けようとしていることを端的に表すのは、さだまさし(70)によるナレーションの少なさ。第5話までで計5回しかなかった。それでいて分からないところはない。
2つ目の理由は倒置法的表現をよく使うからだろう。未来に起きることをほのめかすわけではないので、伏線ではない。
順を追って説明したい。1994年4月、小3の少女・岩倉舞(浅田芭路)は約半年前から心因性と思われる発熱にたびたび襲われていた。母親・めぐみ(永作博美)の心身の負担がきつくなった時期と重なる。
医師に環境を変えたほうがいいと勧められていたため、舞は大阪・東大阪の自宅を離れ、母親・めぐみの郷里である長崎県・五島列島に一時移り住む。
五島行きを提案したのは舞の父親・浩太(高橋克典)。浩太はめぐみも一緒に行くよう勧めた。自分が社長を務めるネジ工場の手伝いと子育て、家事で疲れ切っていたからだ。
ところが、めぐみは当初、これを拒んだ。
「無理、いまさらお母さんに頼られへん」(めぐみ)
第2話だった。なぜ頼れないのかは観る側には分からなかった。その後、めぐみは母親の祥子(高畑淳子)と電話で話す。ぎこちない会話から2人の間にわだかまりがあるのは分かったが、詳細は不明だった。
観る側が2人のシコリの原因を知らされるのは次の第3話。五島列島に帰郷しためぐみに向かって、幼なじみで役場職員の浦信吾(鈴木浩介)がこう言ったからだ。
「大学中退して駆け落ちしたって聞いた時にはびっくりしたぞ」(信吾)
倒置法的表現だったうえ、当事者たちに直接説明させることを避けた。
また、信吾はめぐみとの再会について「高校卒業以来だから、15年ぶりやね」と口にした。ここで初めてめぐみが33歳前後であることも観る側に伝えられた。ごく自然な形だった。
めぐみの過去と年齢を信吾に代弁させた。これにより、リアリティが生まれた。現実社会に生きる人間も自分の身の上を軽々しく語らない。
既に子供もいる浩太とめぐみが、駆け落ちの過去を言葉にして振り返ったら不自然である。めぐみが「駆け落ちしたから、頼られへん」と口にしたら、おかしい。
めぐみと祥子でも同じ。2人にとって駆け落ちは苦い思い出なのだから。めぐみと再会した信吾の率直な思いとして過去を表現したのは巧みだった。
倒置法的表現もリアリティを増幅させている。実際の人間がする会話も順番通りとは限らない。ある件について、ちょっと聞いた後、日を置いて再び尋ねることも多い。往々にして倒置法的だ。
第三者が説明するから生まれるリアリティ
第2話でもめぐみのことを第三者が代わりに語った。それが生きた。めぐみの疲弊を浩太に伝えたのは隣家のお好み焼き家「うめづ」の梅津雪乃(くわばたりえ)である。
「子供らの世話も工場の仕事も大変やん。負担が大きすぎんのと違うか」(雪乃)
浩太もそれは分かっていたが、雪乃に言われ、自覚を深めた。
観る側も同じ。それまでのめぐみの行動や表情から過負担であることは伝わってきたが、雪乃の言葉によって、それを強く意識した。
だから直後にめぐみが自宅の台所で肩を振るわせていると、浩太はすぐさま五島行きを勧めたし、一方で観る側も自宅を離れることを唐突に感じなかった。
また、めぐみ本人に辛さや苦しさを語らせなかったことで、めぐみという女性の性格も浮き彫りにされた。頑張り屋だが、無理をし過ぎるところがある。それが観る側に伝わった。
浩太の気性も第1話の序盤から早々と表されていた。これも直接的説明を避けた。
浩太のネジ工場の始業時、若手従業員の結城章(葵揚)が機械に油を入れ忘れた。これを古参従業員・笠巻久之(古舘寛治)が叱った。結城はあくびをしていたので、寝不足らしかった。叱責されても仕方がない。
だが、浩太は穏やかな口調で言った。「また夜遊びか。ええなぁ、若いもんは」。遠回しに諫めるに留めた。優しいのである。その後も一度として声を荒らげたことがない。
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