竹下登大蔵大臣に5億円? 封印された平和相銀「金屏風事件」の真相
「合併ありき」
この事件では不可解な動きがいくつも重なっているが、田代一正会長の役割もその一つ。
田代会長は、金屏風話を持ち込んだ真部社長とは古くから面識があったにもかかわらず、その事実を隠したまま、四人組に真部氏を紹介していた。さらに、佐藤茂氏とは頻繁に連絡を取り合っていたし、四人組が解任された後、平相銀の会長職から新社長に就任している。そして、住友銀行との合併後は、住友銀行の顧問に納まっているのだ。
山田氏が語る。
「思えば、平相銀のオーナーだった小宮山英一氏と、小宮山家の株を買い取った佐藤茂氏、その資金を提供した住友銀行の磯田一郎会長の三人が出会ったときに、住友銀行による平相銀の吸収合併という方針が決まっていたんです。勿論、大蔵省も合併の方針でした。
関西では住友銀行と検察の幹部が定期的に情報交換をしていたとも聞きます。
検察は、合併の障害になる四人組、とりわけ元特捜検事の伊坂監査役にターゲットを絞り込んだ。田代会長も大蔵省の意向を受けて、合併へと動いたのでしょう。全ては、『合併ありき』だったのです。この過程に巧妙に仕組まれた詐欺話が、金屏風の売買です。屏風は単なる小道具にすぎない。私たちは、売買契約を結んだ段階まで、株は戻ってくると信じていました。完全にだましのテクニックにやられたんです。
それにしても、検察は、この『金屏風事件』こそ立件すべきでした」
この事件に登場した、竹下登元首相、青木伊平秘書、フィクサー・佐藤茂氏などの名は、後に続発する、イトマン事件、リクルート事件、東京佐川急便事件、皇民党事件といった大疑惑にも登場することになる。
封印された「金屏風事件」が、80年代後半の数々のバブル経済事件を誘発したともいえるのだ。事件の関係者は、ほとんどが鬼籍に入った。しかし、「何々ありき」の方針に、政・財・官が複雑に絡み合う構図は、昔も今も変わらない。