竹下登大蔵大臣に5億円? 封印された平和相銀「金屏風事件」の真相

国内 社会

  • ブックマーク

 いまや国際社会のなかでも“ひとり負け”の感が否めない日本経済だが、わずか30年前には未曾有のバブル景気に列島が沸き立っていた。当時、日本の地価の総額はアメリカ全体の4倍ともいわれ、土地・株・カネが飛び交う狂乱のなか、得体の知れないバブル紳士が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)し、数多のスキャンダルが世の中を賑わせた。令和の世とは何もかもがケタ違いな、バブル期を象徴する人々が関わった“事件”を振り返ってみたい。

 ***

 1980年代には、政・財・官が複雑にからむ大事件が数多く起きた。後の事件に関連する人物も複数登場し、道具立ての珍奇さ、不可解さという点で際立っているのが「金屏風(きんびょうぶ)事件」である。(本記事は「週刊新潮 別冊〈昭和とバブルの影法師〉2017年8月30日号」に掲載された内容を転載したものです)

 京都・時代祭の華麗な行列を蒔絵(まきえ)で描いた問題の屏風は、昭和9年から11年にかけて「三井合名」が、三井家の迎賓館に飾るために作らせたといわれている。この屏風の売買を装って40億円ものカネが動き、うち5億円が当時の大蔵大臣・竹下登氏に流れたのではないか、というのが「金屏風事件」と呼ばれる疑惑の核心である。

 事件の舞台となったのは、小宮山英蔵氏が創業し、事件後、住友銀行(現・三井住友銀行)と合併することになる平和相互銀行。

 79年6月に英蔵氏が亡くなると、小宮山ファミリーによる乱脈経営が発覚し、一族の内紛も勃発。巨額の不良債権を抱える平相銀の再建を巡って、当時の伊坂重昭監査役を中心とする経営陣の“四人組”と、英蔵氏の長男・英一氏とが激しく対立するようになっていく。

 85年春、平相銀の常務を解任された英一氏は、政財界のフィクサーと畏怖された、旧川崎財閥の資産管理会社「川崎定徳」の佐藤茂社長に、平相銀の株約2163万株(全体の約33.5%)を約80億円で売却。後に判明するが、佐藤社長にこの買い取り資金を提供したのは、当時、東京進出をもくろんでいた磯田一郎会長率いる住友銀行の関連会社「イトマンファイナンス」だった。

 そして、銀行の自主再建のためにこの株を買い戻そうと必死になっていた四人組の前に、「八重洲画廊」の真部俊生社長が現れる。

「私は佐藤社長と親しい。政界にも顔が利く。通常の取引で株を買い戻すのは難しいが、私が持っている金屏風を40億円で買えば、平相銀株の買い戻しができる」と持ちかける真部社長。

 金屏風はどう高く見積もっても5億円程度の価値しかない。通常では考えられない怪しげな取引だった。が、真部社長が、伊坂監査役に「竹下5億、佐藤3億、伊坂1億」と書いたメモを見せ、直後に、竹下元首相の「金庫番」といわれた青木伊平秘書との会談が実現したことから、伊坂監査役は「これは絵画取引ではなく、株の買い戻しに必要な工作資金作りだ」と判断する。

 銀座の料亭で行われた会談に、青木秘書は、大蔵省(現・財務省)の最高幹部しか知り得ない情報を記したノートを持参していた。また会談には、政界とつながりが深い画商、福本邦雄(フジ・インターナショナル・アート社長)と桜井義晃(櫻井廣済堂社長)の二人も同席した。

 この会談から2カ月後の85年8月15日、平相銀の関連会社「コンサルティング・フォーラム」と「八重洲画廊」との間で金屏風の売買契約が結ばれた。この場に同席した伊坂監査役の秘書・山田穂積氏はこう証言する。

「真部社長は、『これで株に歯止めがかかった。もうどこにも動かない』と言いました。平相銀側も、株が戻ってくると想定して、大蔵省から天下っていた田代(一正)会長の指示で、密かに株の割当先リストを作っていたんです」

 しかし、売買契約締結のわずか5日後、見計らったように、平相銀に大蔵省の検査が入った。通常、1、2カ月程度で終わる検査は異例の長さで続き、5カ月にわたる長期検査となる。この間、平相銀にまつわるスキャンダルが次々と表沙汰になっていった。こうなると、株の買い戻し話など雲散霧消。40億円で買わされた金屏風だけが平相銀側に残された。

 翌86年の1月、共同通信が、金屏風にまつわる疑惑を報道。「金屏風事件」は大きな社会問題となる。そして、7月、遂に“四人組”は東京地検特捜部により、特別背任容疑で逮捕された。

 しかし、不可解なことに、特捜部が立件したのは、「もう一つの屏風事件」と呼ばれた、神戸市八多町屏風の山林を巡る不正融資事件の方だった。結局、この「金屏風事件」は遂に立件されずに終わった。山田氏が振り返る。

「神戸の屏風の土地問題についての取り調べが午前中に全て終わった日のことです。取り調べた検事は『午後からは腰を据えて金屏風事件をやるぞ』と意気込んでいたにもかかわらず、午後になると突然、『調べはここまで。釈放する』と告げられました。上層部から金屏風には触れるなという指示があったようです」

 当時の法務検察の最高幹部は、「巨悪は眠らせない」と豪語していた伊藤栄樹検事総長。しかし、真部社長に渡った40億円のウラ金がどこへ流れたのかは、結局、不問に付された。巨悪は枕を高くして眠ったのである。

 この年の8月、突然、検察幹部が「捜査終了宣言」を行ったが、これ自体、異例のことだった。

 そして、10月、住友銀行は平相銀を吸収合併。首都圏にあった約100の店舗を傘下に収めた。磯田一郎会長が抱いた関東進出の野望は達せられた。

次ページ:「合併ありき」

前へ 1 2 次へ

[1/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。