インドネシア サッカー暴動「131人死亡」から1週間 警察は「犯人」探しを始めるも…圧死者多数の背景に“2つの不運”

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 10月1日にインドネシアの地方都市・マランのサッカー競技場で起きた、サッカー暴動から一週間が経った。試合後のピッチにファンが殺到し、鎮圧に乗り出した警察が催涙弾を発射したことで混乱を招き、出口に向かう人々が将棋倒しとなり圧死したという悲劇だった。【大塚智彦/在インドネシアライター】

 死者は131人に上り、負傷者は467人。このうち重体者が20人以上含まれているという。また犠牲者には、警察官2人のほか、3歳を含む32人の子供がいた。

 この事件件は、世界中にトップニュースとして伝えられた。インドネシアに対する国際社会の信頼と支持も大きく揺らぐ結果となった。

 国際サッカー連盟(FIFA)は、サッカーの試合で群衆の統制に催涙弾を使用することを禁じている。問題となった試合はFIFAのコントロール下ではないものの、インドネシアのプロサッカー1次リーグの公式戦という性格から、FIFAとしても無視できない状況となっており、現地に調査団を派遣する見通しだという。

 ピッチに雪崩れ込んだファンと催涙弾を使用して犠牲者を増やした警察、そして主催者が多くの出口を施錠したままだったことや入場制限を大きく超える発券をしたことで、歴史的な悲劇が起きたと指摘されている。

 改めてそれらを一つ一つ検証してみたい。

暴徒化した熱狂的ファン

 事件が起きた10月1日は、午後8時に試合が開始され、前半は同点という白熱した試合展開だった。後半にアウェーチームのぺルセバヤ・スラバヤ所属の日本人選手が、ゴール前の混戦から決勝点を決め、3対2で地元アレマFCを下した。アレマFCは、ホームゲームでペルセバヤに負けたことは過去23年間なく、常に勝ちゲームを続けていた。

 このため、試合終了の午後10時半ごろからアレマFCのファンが騒ぎ出し、アレマFCの監督がファンに謝罪する事態に。しかし、それでも敗戦を受け入れられないファンがピッチに雪崩れ込んだ。その数は約3000人といわれている。

 現場となったマランは、ジャワ島東ジャワ州の都市である。住民の多くはジャワ人で、彼らはインドネシア人の中でも、とりわけ穏健で親しみやすい民族といわれている。

 ただそれはあくまで個人の話。集団となると現地語で「アモック(Amok)」と称される心理状態になり、何かの拍子に「発火」すると、集団で暴行・略奪に発展し、騒乱状態に陥ることがしばしば指摘されている。

 今回の悲劇も、敗北したチームのファンが抱いた怒りや不満がスタジアムに渦巻いており、それが発火点となって、約3000人がピッチに押し寄せる結果になった。また、警察による催涙弾の発射も、ピッチ内で興奮状態にあったファンに「油を注ぐ」格好となってしまったようだ。

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