【追悼】アントニオ猪木さん 生前、明かしていた「北朝鮮への熱い思い」

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「これこそが、私の考えるスポーツ外交」

 娘と対面した際、立ち合っていたのが金容淳(キムヨンスン)元朝鮮労働党書記だったと猪木さんは言う。その出会いが翌95年4月、2日間にわたり平壌で開かれたプロレス興行「平和の祭典(平和のための平壌国際体育・文化祝典)」につながっていった。かつての強敵モハメド・アリさんも招待し、会場の綾羅島メーデー・スタジアムには38万人の観客が押し掛けた。猪木氏は「これこそが、私の考えるスポーツ外交なんです」と語っていた。

 さらにインタビューでは、自身の政界入りの理由もこう述べていた。

〈私が平成元年にスポーツ平和党を立ち上げ、参院議員選挙に出馬したことも師匠の影響抜きには語れません。力道山は引退後、参院選へと立候補するつもりで、極秘のうちに出馬計画が進められていました。そう、私が政界入りを目指した第一の動機は、師匠がなしえなかった夢をかなえたかったからなんです〉

 時を空けて、2期12年にわたり「スポーツ外交」を口にし続けた猪木氏。その熱い志は、師匠・力道山から受け継いだものだったのだ。

デイリー新潮編集部

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