巖さんの死刑判決を書かされ、その後の人生が暗転したエリート裁判官の苦悩【袴田事件と世界一の姉】

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 1966年、静岡県清水市(現・静岡市清水区)で味噌製造会社専務の一家4人が殺された袴田事件。死刑囚となり、現在も再審無罪を求める袴田巖さん(86)を追った連載「袴田事件と世界一の姉」の25回目では、静岡地裁で巖さんの無罪を主張したものの、意に反して有罪・死刑の判決文を書かされた熊本典道氏(1938~2020)を取り上げる。若き日に袴田事件を裁いたことで、エリート人生が一転した熊本氏とはどんな男だったのか。【粟野仁雄/ジャーナリスト】

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