【追悼】アントニオ猪木さん 「74歳で生前葬」を執り行った真意とは?
リハビリを続けていたが…
この10月1日、アントニオ猪木さんが亡くなった。享年79。ジャイアント馬場さんらとともにプロレスの黄金時代を築き、その後、2期にわたって参議院議員を務めた。昨年3月1日にツイッターで自身の闘病中の画像を公開し、ファンはその姿に騒然。テーマ曲「炎のファイター」が流れる中、ベッドの上でリハビリに励む姿がそこに映されていたのである。
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2017年10月、両国国技館で、猪木さんは自ら「生前葬」を執り行っている。元・付き人の藤波辰爾さんや藤原喜明さん、かつての対戦相手、スタン・ハンセンさんが立ち会い、“猪木追悼のテンカウントゴング”が鳴らされた。リング上には棺おけ。そこに猪木さんが歌う「千の風になって」が流れ、花道から白いガウン姿の本人が登場。ガウンを脱ぎ捨てると、スーツ姿に。
〈リングインすると「生前葬? 俺も何だか分からない」と言いつつ、棺おけの中から白い球を持ち上げると、頭上に突き上げた。白から真っ赤に色が変わった球は、猪木の魂を意味していたようで、猪木は「今、魂が空を飛んで異空間にいった」と言い、笑った〉(「日刊スポーツ」デジタル版、2017年10月21日配信)
74歳での「生前葬」
当時、猪木さんは74歳。4年前に18年ぶりに国政に復帰、前年7月に、代表を務める「日本を元気にする会・無所属会」を解散したものの、現役の参議院議員として精力的に活動を続けていた。北朝鮮には毎年のように訪れ、「スポーツ外交」を掲げていた。
どうして猪木さんは「生前葬」を催したのか。「新潮45」ではその開催直前、猪木さんにインタビューを行っている。
〈孤軍奮闘してきた私も74歳になりました。今年に入って兄と姉を心臓系の病気で亡くしまして。元気が売り物の私がこんなことを言ってちゃマズいと思うけど、まぁ、考えるところがあってね〉
式には師匠・力道山のひ孫を「スポーツ外交の一環として」呼ぶ予定があったと明かしている。16歳になる力道山のひ孫は北朝鮮で柔道選手として活躍していて、「東京五輪への出場も期待されている」という。力道山が現在の北朝鮮出身という経歴は、よく知られた話だ。しかしその生前、故郷に帰ることはできなかった。
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