アントニオ猪木さんが闘病中に漏らした弱音と本音 「神様なんて、本当にいるんでしょうかね」

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最後に抱いた夢

「塩分がないと、何を食べても美味しくないんですよ。先日、近所の中華料理を取り寄せましたが、しょっぱくて食べられなくてね。美味いものを、また食べに行きたいですね」

 厳しい食事制限を強いられながらも、大好物のフグを食べに行くのに強い意欲を見せていた。

 病気は睡眠にも影を落としていた。「小刻みにしか眠れないんです」、「どこかが痛いというわけではなく、手がしびれるんです」。会話の最中、ペットボトルのお茶を欲した猪木さんの手は震えてわずかに届かず、おそるおそる手渡しした。

「今、一番関心があるのは、ごみ問題。水プラズマを何とか前に進めたいと思ってます」。常に夢を追ってきた男が最後に抱いた夢は、温度が2万度になるプラズマと水を作用させることで、一瞬にしてごみを溶かし、灰もなくしてしまう水プラズマ技術の活用。フィリピンのスラム街「スモーキーマウンテン」にうずたかく積まれたごみが瞬時に消えるのを夢見ていた。

 私が米国で暮らしていた時も、時折かかってきた電話の第一声はこれまでと変わらず「元気ですかー?」の大声だった。病気の進行とともに、その声は次第にかすれ、か細くなっていった。あの声はもう聞けない。この世にいないのが信じられない。とてつもない喪失感に打ちひしがれている。

「アントニオ猪木」という重荷

 拙著『猪木道――政治家・アントニオ猪木 未来に伝える闘魂の全真実』執筆のため、2020年に3回インタビューした際、難病は既に進行しており、体調は決して万全ではなかった。毎日欠かさなかったアルコールを一切口にすることはなく、歩くのには杖が手放せなかった。

 インタビューの最終盤、猪木さんは最強かつ最期の敵は自分だと明かした上で、こう漏らしていた。

「皆さんが(いつまでも元気だと)期待してくれているアントニオ猪木だって、歳を取っていくんです。そういう名前とか、イメージというのが、ずっと付きまとうのは、俺にとって、すごく重荷なんですよ。アントニオ猪木を続けるのも楽じゃない、本当に大変なんです」

 その言葉を直接聞かされてから「いつまでも元気でいてください。100歳まで生き抜いてください」などと気軽に伝えるのがはばかられるようになり、二度と口にすることはできなかった。

 猪木寛至さん、もうアントニオ猪木を演じなくても、大丈夫です。どうぞ、ゆっくりとお休みください。

小西一禎(こにし・かずよし)
ジャーナリスト。慶應大卒後、共同通信社入社。2005年より本社政治部で首相官邸や自民党などを担当。17年、会社の「配偶者海外転勤同行休職制度」を活用し、妻・二児とともに渡米。20年、休職満期につき退社。米コロンビア大東アジア研究所客員研究員を歴任。駐在員の夫「駐夫」として、各メディアへの寄稿・取材歴多数。今後の執筆分野は、キャリア形成やジェンダー、海外育児、政治、メディア、コーチングなど。『猪木道――政治家・アントニオ猪木 未来に伝える闘魂の全真実』(河出書房新社)は初の著作。

デイリー新潮編集部

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