妻の出産時にも相手の家に…耐え忍んで“ご近所不倫10年”の43歳夫が打ち明ける不満

  • ブックマーク

息子が産まれたときも恭美さんの家に

 それから数ヶ月後、寛人さんは父親になった。その日、出産はまだ先だと思っていた彼は恭美さんの家にいた。携帯電話は切っていた。

「恭美の息子が帰ってこないというから、少し遅くまでゆっくりしていようと思ったんです。終電で帰ったような時間に彼女の家を出て携帯の電源を入れると、妻や義両親から何度も電話がかかってきていた。自宅に戻ると義父に『何やってるんだ』と怒鳴られました。妻はいきなり産気づき、病院に行ったら緊急で帝王切開になった、と。妻も子どもも一時期は危険だったと聞いて驚きました。出産は何があるかわからないと聞いてはいたけど、迪子がそんなことになるなんて」

 そのまま病院に駆けつけようとしたとき、義母が戻ってきた。もう大丈夫だから、病院に行くのは明日でいいからと言われ、ほっとしてしゃがみこんでしまったという。

「義父は『きみはどこにいたんだ』と厳しい口調になりましたが、僕は二階へと上がっていきました。昔、父親に怒られて反抗しながら自室に向かったことを思い出した。いい年して、どうして義父にあんな口調で責められなければいけないんだろうと思っていました。自分が悪いのはわかっているし、妻に怒られるのは覚悟したけど、義父には反発心しかなかったですね」

 翌朝病院に行くと、妻は泣き笑いのような表情で彼を迎えた。どうしても仕事で接待をしなければならなかったと、彼は薄っぺらい嘘をついた。妻は黙って頷いたという。

「彼女は心身ともにつらいから、僕の言うことを信じたふりをしたんだと思います。生まれたばかりの息子は新生児集中治療室にいました。数日で出られるだろうということだったのでホッとしたけど。ホッとしたら、今度は恭美に会いたくなった。ずっとそんな感じだったんです。何か心配ごとがあってもホッとしても恭美に会いたくなる」

 息子は順調に回復し、生後1ヶ月で退院、親子3人の生活が始まった。とはいえ、階下には妻の両親がいる状態。迪子さんは夫の寛人さんより実母を頼った。しかたのないことだが、寛人さんは「自分だけが他人」であることを実感しつづけたという。

 それがますます恭美さんへと傾く原因となったのかもしれない。

「でもそのころ、近所では僕と恭美の関係を疑う声があったようです。義父が噂を聞きつけたらしく、『恭美という女性を知ってるな』と言われたことがあります。居酒屋でアルバイトをしている女性なら知っていますと答えると、『まさか近所でバカなことはしていないだろうな』って。それに答えず、また反抗期の子どものように黙って二階に上がりました。迪子が心配したようで、『お父さんと何かあったの?』と聞かれましたが、別にと答えて。僕が不倫をしているなんて、迪子はまったく思っていなかったんじゃないでしょうか。だからこそ義父はムキになって真相を探ろうとしていたような気がします」

 息子はかわいかったが、日常生活が重かった。妻は精神的に母を頼り、経済的には父を頼っていた。子どもができてから、寛人さんは義父から迪子さんが毎月、いくばくかのお金をもらっていることを知った。

「迪子と量販店に買い物に行ったとき、おむつって高いなあと思ったんです。そう言ったら、妻が『大丈夫、子どもにかかる費用はほとんどお父さんが出してるから』とぽろっと言ったんですよ。驚いて妻を見ると、妻もマズイという顔をして『たまにお父さんがお小遣いをくれるから』と言い直した。家計はどうなってるんだと思ったけど、そこが僕もずるくて、それ以上、聞けなかった。生活費はそれなりに渡しているつもりだったけど、考えてみれば迪子はそこそこ贅沢な暮らしをしていましたからね」

 子どもがいるのだから家庭におさまろうと思うこともあった。だが恭美さんに会わないと心身ともに不調になる。恭美さんは一度たりとも「会いに来て」とは言わなかった。だが「会いたい」とは言う。自分の気持ちが尊重されているような気がして、家庭で息がつまりそうになると、彼は恭美さんの顔を見に行った。

次ページ:「なぜこんなところに壁を?」

前へ 1 2 3 4 次へ

[3/4ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。