サッカーの王様・ペレはなぜ愛され続けるのか 「国民的な落胆」を救った英雄の素顔(小林信也)

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史上最年少で出場

“マラカナンの悲劇”を機に、ブラジル代表はユニフォームを現在の色合いに変えた。黄色、緑、青はスタジアムの名前にもなったマラカナン鳥の羽根の色だ。ブラジルはあの悲劇を忘れない覚悟と反攻の意志をユニフォームに込めたのだ。

 ペレは56年、15歳でサントスに入団。57年にはサンパウロ州選手権で得点王に輝いた。翌年の同選手権でも38試合出場58得点で2年連続得点王。優勝に貢献し、ブラジル代表に選ばれた。そして悲劇から8年後の第6回スウェーデン大会にペレが登場する。当時史上最年少の17歳だった。

 直前に膝を痛め、3試合目から登場したペレは、準々決勝のウェールズ戦で初ゴールを決めると、準決勝のフランス戦では後半に3点を奪い、ハットトリックを記録した。ペレはディフェンダーに囲まれてもチェックを受けても怯まなかった。相手を機敏にかわし、股下にボールを通し、ひらりひらり前へ前へとボールを運び、最後はキーパーをもかわしてゴールを決めた。世界中が驚異的なゴールゲッターの出現に度肝を抜かれた。ペレは、衝撃そのものだった。

キングの誕生

 決勝の相手は地元スウェーデン。ペレは決戦に向かう心情をこう書いている。

〈1958年6月29日は朝から曇り空でした。ストックホルムの町に嵐が押し寄せてきていたのです。これでスウェーデンが有利になるというのが大方の予想でした。(中略)スウェーデンのユニフォームも黄色ということで、わたしたちは青のユニフォームを着ることになりました。これを悪い予兆と捉える人もいましたが、代表団トップのドクター・パウロはこれを巧みに利用しました。青はブラジルの守護聖人である聖母アパレシダの色でもあり、幸運の証だ、これまでも青いユニフォームのチームはいい成績を残していると言うのです。1950年大会の決勝でブラジルが涙を飲んだ時のウルグアイのユニフォームも青でした〉

 ストックホルムのスタジアムに集まった4万9737人の大半はスウェーデンのサポーターだ。試合前、両国国歌が流れると、ペレの頭にふと故国の家にいる父の姿が浮かんだという。

〈ラジオにかじりついて、ソワソワしながらも誇らしい気分でいてくれているはずでした。(中略)わたしは1950年に父と交わした約束を果たそうと決意を新たにしました〉

 決勝の舞台でペレは2得点を決めた。ブラジル5対2の勝利に貢献したペレは、「新たなキングの誕生」と激賞された。背番号10がサッカー界でエースナンバーと認められるのはこの大会のペレがきっかけだった。

 長く語り継がれ、愛され続ける歴史的ヒーロー誕生の前段には「深い国民的な落胆」の共有がある。ペレもまた、あの落胆から国民を救い、歓喜をもたらした英雄として愛され、慕われ続けている。

小林信也(こばやし・のぶや)
1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。

週刊新潮 2022年9月29日号掲載

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