「私は夫の部下ではない」 定年退職した夫との会話を拒否する妻の“本当”の心情とは

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浮気の後始末に妻が行かされるケースも

「いや、私は、家内が持つコミュニケーションスキルの高さも、育児のスキルの高さも尊敬していますよ。料理のスキルはもうひとつですが、妻に対しては全体的に『君はスキルが高い』と認めていますし、尊敬しています」

「尊敬している」を多用すると、まるでバカにされていると感じたりはしないか少し心配になりますが、それよりも、奥様が持つ「スキル」を、まるで部下に接するときのように評価しているのは残念なことですね。

 熟年離婚を望む妻たちの話を、私は30年近く前から繰り返し聞いてきました。

 夫からのひどい暴力を受けながら、子どもたちを育てるために我慢を重ねてきた妻もいました。その中には夫の両親に相談しても、まるで自分が暴力を誘発しているかのように言われ、外に向かって相談するのが怖くなったとおびえている妻もいました。

 浮気を繰り返す夫の後始末として、浮気がバレるたびに愛人への手切れ金を渡しに行かされた妻もいました。愛人女性から「取られるほうも悪いんじゃないの、女としての魅力がないから」と言われ泣きながら帰ったという話も聞きました。

 夫は仕事で休日も出かけるものだと思っていたら、競馬に通っていて、それで作った借金を返済するために、早朝と深夜にかけもちパートタイム勤務をして、睡眠時間もなく体がぼろぼろになってしまったという妻もいます。

私は部下ではない

 目の前の相談者に話を戻しましょう。ロレックスを着け腕組みをした男性が憮然としながら話を続けます。

「私は、そんな夫たちとは違います。浮気も暴力も借金もしたことがない。それなのに、なぜ家内は私と話をしないと言うんですか」

 奥様の言い分を聞いてみなければ正確なところはわからないため、私の想像で伝えるしかありませんが、彼女が話をしないのは、彼が、自分が勤務していた仕事を軸に話すからではないでしょうか。

「まるで部下のように夫から評価されるのが苦痛だった。私は夫の部下ではありません」と憤る妻たちはいます。

 男性が定年退職を迎えるのは難しいものです。長年勤めた職場を離れて家庭に入り地域社会に入ったからといって、自動的に家庭人になることができるわけではないからですね。

 それは、出産と似ているかもしれません。女性が十月十日(とつきとおか)かけて徐々に母親となっていくのに比べて、男性は、生まれた赤ちゃんの顔を見た時、突然父親になります。十月十日かけて自分の食事や行動に気を付けながら、妊婦として重い体を操ってきた女性は、命を懸けて赤ちゃんを産んだ時にはすでに母親となっています。対して男性は、子供が生まれ「あなたの赤ちゃんよ」と言われたその時から時間をかけ、努力して父親になっていくしかありません。生まれたばかりの赤ちゃんに対しては、圧倒的に妻の側が「先輩」です。

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