国交正常化50周年でも中国大使は田中角栄の墓参りができず…日中関係がこじれた“2つの行き違い”とは

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こじれた日中関係、ターニングポイントは

 50年前、田中角栄は娘の真紀子に「毒を盛られるかもしれないからオマエは連れて行けない」と言い残して、北京へと旅立った。文字通り死を覚悟して切り開いた日中関係は、その甲斐あって、双方の国に熱狂をもたらした。友好の証として上野動物園に送られたパンダには長蛇の列ができ、異国情緒をかき立てるシルクロード文化については、あらゆるメディアが取り上げて大ブームとなった。

 一方の中国では少し間を空けて、文化大革命終了後、日本の高度経済成長に学び、少しでも追いつこうとする機運が盛り上がった。

 当時の日本人から見ると、中国はさながら「貧乏人の子だくさん」的な隣人だった。経済的には豊かではないが、莫大な人口と広大な土地がある。なんと言っても悠久の歴史と世界史に冠たる文明と文化を持っている。高度経済成長を経て裕福になったものの狭い国土と少ない人口、すなわち「金持ち核家族」の日本にとっては、興味津々の対象であった。

 それが今となっては、中国は「金持ちの大家族」となり、翻って日本は、経済は衰退の一途で、少子化は止まらないというないない尽くし。そんな日本に、中国はもはや媚びる必要はない。安倍晋三元総理の国葬にも国交正常化イベントにも現職の共産党幹部が出てこないことは、中国の日本軽視を物語っている。

 この50年でこじれた日中関係は、どこがターニングポイントだったのか。近くは小泉政権での靖国参拝、野田政権での尖閣国有化など数多のできごとがあるが、元を正せば戦争謝罪をめぐる2つの行き違いが、中国側に日本へのネガティブな思想を植え付けた気がしてならない。

 一つ目の行き違いは、50年前の9月25日、角栄が北京に着いた日のことだ。周恩来主催の晩餐会で角栄は、日中戦争をめぐり日本語で謝罪した。

「わが国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明する」

 ところが、この「迷惑」という言葉について、外務省は「添麻煩」という表現で中国語訳をした。これが周恩来の逆鱗に触れた。なぜなら、この中国語は非常に軽い表現で、周が翌日「女性のスカートに水を引っ掛けたときに使う言葉だ」と批判したまさにその程度の迷惑度なのだ。では、誤訳なのだろうか? 角栄の挨拶にはそもそも事前に原稿があった。技術の拙い通訳がその場でミスをしたとは考え難い。ここに外務省としての巧妙な思惑があったと考えられる。というのも、角栄のそれまでの国会答弁などを聞けば、中国に対して強い謝罪の気持ちを持っていることは誰もが知るところだった。しかし、国内の政治事情……日中戦争や太平洋戦争を美化しようとする右派の勢力はまだまだ強く、配慮せざるを得ない。そこで、それらを汲んだ外務省が「添麻煩」という言葉を捻り出したと考えられる。なお、角栄や大平は中国語を解さないので、外務省内の担当者に中国への悪意があったことも否定はできない。いずれにしても、国交正常化の最初の段階で既に綻びが生じていたのだ。

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