「村田兆治 逮捕」で世の中の反応が二つに分かれるワケ
マサカリ投法の誕生
プロ入りは1968年。高校3年生の時、ドラフト1位で「東京オリオンズ」(現・千葉ロッテマリーンズ)に指名された。プロ入りしてから身に付けたのが、代名詞となる「マサカリ投法」である。
「高校時代は普通の投げ方だったんです。僕の場合、その投げ方だと上半身がかって、上半身ばかり突っ込んでしまう。右肩が前に突っ込むようなフォームになる。
それを矯正するには、右足に重心を残さなければならない。いわゆるタメを作る訳です。
右足に重心を残し、右足と左肩を重心の中心線にする形を作ろうとし、その完成品が“マサカリ投法”だったわけです。
しかし、こういう“変則的なフォーム”をマスターするには、どうしたって人一倍右足の力をつけなければならない。
右足を鍛え、最終的には右足の親指一本でも立っていられるようになりました。左足を伸ばし、投げる格好で右足一本で立ち、しゃがむ。そして立ち上るという、いわゆるスクワットの右足一本形を何百回もやりましたね」
このフォームと速球、そしてフォークボールを武器に村田氏はエースとなった。しかし入団14年目、1981年に右肘痛に襲われる。
この肘の治療のために、83年、村田氏はアメリカの高名な医師、ジョーブ博士の手術を受けることにする。
左手首の腱を右肘に移植するという手術だった。
当時の日本ではこうした手術はタブー視されていた。復帰できるかどうかはまったく不透明な状況だったといっていいだろう。
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