【独自】木原官房副長官の選挙支援をした「統一教会シンパ男性」は警視庁公安部の監視対象だった
麻生氏は自身の関与を否定
窮余の一策の実現もかなわず、坂を転がるように国民の信を失っていく岸田政権。批判の的となっているこの国葬の実施を進言したのは、ほかならぬ麻生太郎自民党副総裁とされている。
「麻生さんが岸田さんに電話した際、“国葬にした方がいい”とアドバイスし、岸田さんはそれに従ったのです。しかし、意外にプライドの高い岸田さんは麻生さんに後押しされたという点を伏せ、それを“自分が決断した”と周囲に語ったのです」(先の官邸関係者)
自民党関係者によれば、当の麻生氏も表向き、自身の関与を否定しているという。
「麻生さんは周囲に、“(祖父の)吉田茂の国葬の時も批判が大きくて、遺族は辛い思いを強いられた”“だから、岸田には安倍昭恵さんの了解をとれと言ったんだ”とも話しています」
そして、国葬と並ぶもう一つの火種、統一教会問題で麻生氏はダンマリを決め込んでいる。教団関連のイベントに祝電を送っていることは既報なるも、自民党の茂木敏充幹事長が主導した調査では麻生氏の名前が挙がることはなかった。だが、統一教会の関連団体である国際勝共連合の機関紙「思想新聞」を遡っていくと、麻生氏の名前が頻出していたことがわかるのだ。
窓口役を務めた統一教会シンパ
その一つが1981年11月22日に国際勝共連合福岡県本部が主催した「日本の平和と安全を守る福岡大会」。当時の思想新聞は「麻生太郎代議士らが激励」と見出しをつけ、大々的に報じている。また、翌82年の元日に発行された同紙には、〈謹賀新年〉として麻生氏が年賀広告を掲出している。
麻生事務所は、
「事実かどうか確認のしようがないので、党に追加報告はしない」
と言うのみ。そして、さらに濃厚に教団と関わっている人物が官邸中枢にいる。岸田政権誕生の立役者であり、総理の最側近・木原誠二官房副長官である。
本誌(「週刊新潮」))は9月22日号にて、麻生氏と同じく「茂木調査」で名前が公にならなかった木原氏について、2016年に都内で行われた統一教会系のシンポジウムに出席していたことを報じた。木原氏は本誌の取材の後、慌てて党に「追加報告」を行ったが、そのシンポジウムで木原事務所との窓口役を務めた人物は統一教会シンパであり、また、教団の信者に対し木原氏への選挙支援を要請していたことも明らかに。
木原氏は9月22日号の本誌の取材でこの人物についてこう語っていた。
「わかりますよ、地元の東久留米の方だと思います。私の知るところでは(その人物は)統一教会の信者ではないと認識しています」
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