地上げの帝王「早坂太吉」に群がった著名人 砧の会長宅で小林旭がスポーツマッサージをしながら頼んだこと
ママの娘の同級生と
早坂にくだんの判決が下された88年は、内縁の妻だったママが、娘と一緒に砧の家を飛び出した年でもあった。時はバブルの盛期を迎えていたが、“帝王”としての早坂は、すでに下降の一途をたどっていた。最上恒産の申告所得も、記録的に増益した翌年には前年度の100分の1にしぼみ、再びふくらむことはなかったのだ。
それでも早坂は意気軒昂だった。ママに愛想をつかされた原因が、その後、林真理子が『アッコちゃんの時代』(新潮文庫)のモデルにした、当時19歳のアッコちゃんだったからだ。
「アッコちゃんはママの娘の同級生で、会長はママの娘とアッコ連れて食事行ったりしてたのよ。でも、あるとき新潟にみんなで競馬見に行ったら、会長はアッコを膝の上に置いて“かわいい、かわいい”といじくり回してるわけ。出張に行った会長を迎えに行っても、グリーン車の出口からアッコと一緒に出てきて、二人がデキてるとわかった。ママの娘は会長に“最近、アッコがおかしいのよ。ケリーバッグ持って、すごい時計や指輪して”なんて話してたんだけど、まさか義理の父が買い与えてるとは思わなかったでしょうね」
ママの当時の証言によれば、早坂にはほかにも3人の愛人がいたそうだが、
「多少の浮気は仕方ないと考えてたママも、娘の同級生にまで手を出されて、娘の立場で考えたわけ。それで砧の家を出て行き、750億円の財産分与調停申し立てをしたんです」
それは、早坂が日ごろから「俺の総資産は1500億円」と語っていたことを根拠にしていた。
実際、全盛期の早坂は数百億から一説には2千億円を動かせたという。300頭の競走馬を抱え、毎週、韓国のカジノに通ったが、過剰融資によって形成された“資産”が、すでに泡と消えようとしていることに、ママは気付いていなかったのかもしれない。
ママとは、数億円の慰謝料を支払うことで和解したが、最上恒産は93年、1千億円の負債を抱えて倒産。アッコちゃんも、音楽プロデューサーの川添象郎氏のもとへ逃げ去った。
それでも、かつて「競馬と女だけはやめない」と語った“誓い”を守るかのように、暴力団関係者に追われながらも競馬場通いをやめず、結婚と離婚を繰り返したが、昔日の“帝王”の面影はすでになかった。
2001年に脳梗塞で倒れ、意識が戻らないまま06年1月25日、帰らぬ人となった。享年70。