地上げの帝王「早坂太吉」に群がった著名人 砧の会長宅で小林旭がスポーツマッサージをしながら頼んだこと
「おいっ、旭、いくらだ」
これほど豪放にカネをばらまく人のところに、人が集まらないわけがない。地下のバーでは、毎週のように宴会が開かれ、集まる面々も豪華だった。
「会長の誕生日や、会長が手がけたホテルのオープン時とかは、有名人も大勢来てた。相撲だといまの八角親方、歌手だと小林旭、北島三郎、前川清、小柳ルミ子、淡谷のり子はいつもいました。私も会長に“おまえ、歌え”と言われて、仕方なく歌ったら北島と前川がバックコーラスやってくれてね。パーティーで誰がトリを歌うかで小林旭と北島三郎のマネージャーがもめたときは、会長が“歌の世界ではサブが先輩だろ”と仲裁しましたね」
なかでも印象に残っているのは、小林旭だという。
「彼は毎週、金、土、日と地方公演があったのに、日曜の晩はどんなに疲れてても、砧の家に現れるんです。そして1階の仏間に入るなり、小林は“ちょっといいですか”と言って、会長にスポーツマッサージを始めるんだよ。肩に肘をグリグリ当てて“オヤジ、こんなに疲れてて”“オヤジ、無理しすぎですよ”なんて言ってね。当時の大スターがつきっきりで肩もんだりしているんだから、みな驚いていたよ。会長は用件がわかってるから、“おいっ、旭、いくらだ”と聞いて、小林はあっさり“20億です”と言う。会長と出会う前に作った千葉のゴルフ場の借金ですよ。会長は夜の11時ごろだというのに、部下の社長に“頼むな!”って電話して終わりです」
小林の“ゴマすり”は徹底し、その結果か否か、早坂から計40億円は借り出したそうだ。史上最もたやすい錬金術だった、と言ったら言いすぎだろうか。
「小林旭が京都の劇場で1カ月公演のさなか、競馬好きの会長が京都競馬場を訪れたついでに見に行ったら、開演後、ピンスポットで会長にライトが当たって、小林が“今日は記念すべき日であります。人生の師、父である最上恒産の早坂会長が陣中見舞いに来てくださいました。いまヒットしている『熱き心に』を、今日はオヤジに捧げます”と言うんですよ。そりゃ、会長も痺れますよ」
ほかのバブル紳士も、早坂邸に集った。
「会長は“元日は誰も受け付けない”って言ってるのに、ケン・インターナショナルの水野健社長は、ママが言うには国宝級とかいう大島紬を二人に土産に持ってあいさつに来てね。会長はパッと話をして、何十億も融資してた。相応の金利だったと思うけどね。アイチの森下安道さんも、紹介なしでオールダイヤの時計を“名刺代わりです”って持ってきて、会長はバーンと融資してたね」
だが、そんな時期も長くは続かなかった。西新宿の土地取引について届け出を怠ったため、東京都から警視庁に国土利用計画法違反容疑で告発され、88年、早坂に懲役6月執行猶予3年の判決が下される。
「そんな話が流れると、小林はばったり姿を現さなくなった。北島は“そんなの関係ないよ”と言って、その後も来ていましたけどね。それで会長は怒って、小林に対してカネの回収に入るんだ。でも、40億円のうち20億円はCM出演料ということにして、残りは会長と関係を持ちたい会社が肩代わりしたんだけどね」
結局、小林の借金はチャラになったのである。
念のために、事務所を通じて小林旭に確認すると、
「CMに出させてもらっていたこともあって、“オヤジ”と呼んで慕っていたが、1円たりとも借りたことはなく、CMのギャラも2億円ぐらいだったと思う」
との回答。たしかに、肩もんでカネを引き出したなんて、恥ずかしくて言えるわけもないだろう。
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