兜町の風雲児「中江滋樹」が語っていた田中角栄 「目白に3千万円持って行かせたが…」

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「ここで決まってんだ」

 中江を語る際、必ず思い出されるのが倉田まり子だ。愛人だと騒がれ、芸能界引退に追い込まれた彼女との関係は、中江に言わせればニュアンスが異なる。

「トップ50人の一人が『パルム』って月刊誌を出したいと言うんで、創刊号の表紙に倉田まり子さんを使え、インタビューもしろって言ったんだわ。だったら了解してやるよと。それで“インタビューします”って言うから行って、“会長、記念写真どうぞ”って言われて、肩に手を回してバチバチ撮ってもらったら、カメラマンが『フライデー』に売っちゃったわけよ。倉田さん、迷惑してるよな」

 むしろ倉田は、

「政治家、財界人、官僚、裏社会のトップ、もう、あらゆる人と会ってるよ」

 と語る中江の人脈のなかでは、微々たる存在だったということか。一方、その存在感が中江の胸に、いまも大きく刻まれているのは、田中角栄だという。

「角栄さんと最初に会ったのは、まだ投資ジャーナルを立ち上げた初期のころで、泰道三八さん(註・元エスエス製薬会長、元衆議院議員)の紹介で一緒に目白に行ったんだよ。そこで俺は好奇心の塊だからさ、“日本はどういうことを、どこがどう決定しているんですか”とか、いろいろ聞いたんだ。そしたら田中先生は金の灰皿かなにかをポンポンと指さして、“中江くん、ここで決まってんだ”と言った。目白で日本の政治は決まってんだ、すべてはここで決まってんだ、と言ったよ。ああ、と思ってね。カッコいいじゃん」

 続いて、「テレビ朝日の天皇」と呼ばれた三浦甲子二(きねじ)元専務に連れられて訪問。

「株も裏で政治銘柄とかあんのやろと思って、“株やってないんですか”って聞いたんだ。そしたら呆れられて、三浦の親父にも“お前、バカじゃねえか”と怒られちゃったよ」

 脱税で国税局が動いたときも、角栄に頼ったという。

「泰道さん経由で田中先生に相談したら、捜査がピタッと止まった。だから目白に3千万円、社員に持って行かせたんだ。そしたら受け取ってもらえなかった。俺は3千万円じゃ足りねえのかと思ったんだが、“君たちのようなこれからの若者からカネを受け取るつもりはない”と一喝されたって社員は言ってたね。あとで三浦の親父に聞いたら、本当にそう言ったんだって。そのとき俺が目白に行かなかったのは、俺はいつもワンクッション置くわけ。社員に行かせておけば、なにかあったときは“失礼がありまして”って俺がわびに行けるやん」

 だが、政官財のVIPや芸能人、スポーツ選手までが顧客として群がり、都内の高級ホテルで豪華なパーティーを重ねて開いては、巨費を集めていた時代の寵児も、気付くとすでに、目白の威光が及ばないほど追いつめられていた。

「俺が警視庁に逮捕されるとの一報が流れたとき、逮捕状出すのを1週間遅らせてもらおうと思って、笹川良一先生にも電話したよ。でも、切符が出てたらダメだと言われて、三浦の親父も“角が三浦動くなって言ってるから、これはもうダメだ”って言うんだ」

 その結果、海外に逃亡するが、中江が言うには、それは示唆があってのことだったという。

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