サーフィンを再興、アロハシャツに革命 デューク・カハナモクに学ぶ金メダル獲得後の生き方(小林信也)
ハワイのワイキキ・ビーチに、サーフボードと共に立つ銅像がある。「伝説のサーファー」デューク・カハナモク生誕100年を記念して建てられた像だ。
デュークは、ハワイの歴史や文化を語るとき、忘れることのできない人物だ。
現代人の多くはアロハシャツのブランド名として彼の名を思い出すかもしれない。いまも人気を得ているブランドの公式サイトには次の紹介文がある。
〈アロハシャツデザイナーのフランシス・デルペッシュはこう語っている。「デュークはハワイアンシャツが流行する以前からシャツの革命を起こしていたのです。当時、少年や一部の男性たちは、暑い日にシャツの裾をズボンの中に入れずに出していました。それを見苦しいと思ったデュークは、裾をまっすぐにカットしたシャツを思いついたんです」と。それは第2次大戦よりもずっと前のことで、このシャツこそ最初のハワイアン・スポーツシャツであった〉
デュークの感性とひらめきが現代に続くアロハシャツを生み出した。
1890年にオアフ島で生まれたデュークは純粋な先住ハワイ人。幼いころからワイキキの海で育った。海こそがデュークの人格と人間力の源だった。泳ぎを覚えたのは3歳のころ。
「父が泳ぎを覚えさせるためにカヌーから落とすので、泳ぐしかなかったんだ」
とデューク自身が語っている。両親に「海と共に生きる」ハワイ人の魂を教え込まれて育った。そうやって培った泳力でデュークはまず競泳選手として世界に名を轟かせた。
1911年、21歳の時、ホノルルの海で開かれた水泳大会に出場し、自由形100ヤードに優勝。当時の世界記録を4秒6も短縮して世界をアッと言わせた。翌12年、圧倒的な強さでアメリカ代表に選ばれると、ストックホルム五輪の100メートル自由形で金メダルを獲得。16年大会が第1次世界大戦で中止になった後の20年アントワープ五輪で2連覇を果たした。
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