統一教会「勅使河原秀行さん」が30年ぶりに登場 実父が語っていた息子の“京大卒、大和証券勤務のエリート人生”
イタズラっ子
写真週刊誌「FOCUS」(新潮社・休刊)は93年5月、「『破断された』統一教会『勅使河原秀行』男の研究」の記事を掲載した。
勅使河原氏がどのような人物なのか、幼少期から遡って徹底的に取材したものだ。当時の記事を要約して紹介する。
勅使河原氏は愛知県一宮市の生まれ。3人きょうだいの長男で、弟と妹がいる。父親は大阪に本社のある繊維問屋の取締役で一宮支店長。ごく普通の中流家庭に育ったと言っていい。
「小学校の頃は、腕白でケンカもよくした。やんちゃで、学校でも指折りのイタズラっ子でした」(幼なじみ)
中学から剣道を始め、高校では副将として地区大会で団体準優勝もしている。
「スポーツマンだし、ユーミンやオフコースが好きでコンサートにもよく行っていた。統一教会なんて、当時の姿からはピンと来ませんね」(高校の同級生)
成績は常にトップクラス。
「ただ、女の子に対しては無頓着なタイプだった。身だしなみに気を使わないし、女の子に敬遠されるタイプでした。それに理屈っぽくて、どこまでも自分の考えを主張する奴だった」(他の同級生)
「24時間教会に身を捧げたい」
一浪後、京大の農学部農林経済学科に入学した。
「医学部を勧めたんですが、息子の希望で農学部にしたんです。本人は“何年か先、世界は食糧危機の時代が来る。人口も増加する一方だから、コントロールしないといけない。そのために勉強したいんだ”と言う。将来は国連で働きたいと言っていました」(父親)
その「理想主義」的なところが、統一教会に入信する素地になったのかもしれない。勅使河原氏は大学3年生の時から授業に出なくなる。統一教会の学生組織、原理研究会に入会したのである。
原理運動に熱中したせいか、勅使河原氏は4年生になっても卒業できず留年。「筋金入り」の原理研メンバーになっていた彼は、大学卒業後の進路について、「教会の職員になって24時間教会に身を捧げたい、と思っていた」(関係者)
が、両親が反対。
「“なんとか普通の会社に就職してくれ。3年経ってまだその時、原理をやりたいというのなら認めよう”と言いました。世間の波に揉まれたら考えも変わると思ったんです」(父親)
勅使河原氏は、この条件をのむ。
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