「下北住めば?」と言われたけれど… 歌人・伊藤紺が「杉並に住んだから東京を愛せた」と語る理由

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「なんで日野?」という質問

『肌に流れる透明な気持ち』『満ちる腕』などの作品集で人気の歌人、伊藤紺さん。限られた言葉の中で繊細な情緒を表現する彼女が、生まれ育った東京の街を離れて気付くこととは?

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 東京の日野市に生まれた。小学校にはそこそこ広い田んぼがあって、「じじ山」と呼ばれる山と多摩川の上流にあたる川の間でなんとなく育った。東京がこの国で一番大きな都市と知り100%の無邪気な心で「都会じゃないまちに生まれるってどんな感じだろうね」と尋ねたときの母親の表情の意味がわかるようになったのは、川沿いに建つさびれた中学でスカートの丈を厳しく管理されるようになってからだった。

 都会に憧れはなかったが地元には飽きていて、進学先には杉並区の高校を選んだ。私服で校則がなく、生徒の雰囲気がしゃれていて「ここなら通ってもいい」と唯一思えた。入学後、地元が日野だという話になると「なんで日野?」とよく聞かれた。なんで? 親が住んでいるから? お前が世田谷に住んでいるように?(呪)。無礼で理不尽な質問に違いないが、心に小さな「?」が刻まれた。確かに、実際、なぜ。

「なんで◯◯駅? 下北住めば?」

 24歳のとき高校近くの駅で一人暮らしを始めた。その前に2年間、仕事の都合でスカイツリーのすぐそばに暮らしていたけど、押上(おしあげ)よりずっと、やっぱり杉並が好きだった。緑道が多く、しょっちゅう散歩した。ジブリ映画に出てきそうな大きな家がたくさんあった。大好きな居酒屋、中華屋、パン屋、コーヒー屋が家から徒歩3分以内にできて、近所にちょっとした顔見知りができた。お気に入りのミニシアターもあった。悲しい映画を観に行って、ひとりぽろぽろ泣きながら100円バスのすぎ丸に揺られて帰った。辛いことも多い時期だったが、生活がゆっくり実っていく実感があった。

 マイナー駅だったので「なんで◯◯駅? 下北住めば?」と言ってくる人もやっぱりいたけど(都会好きには一定数なぜなぜマンがいる)、広くて日当たりのいい部屋含め、心が満たされていたのでなんとも思わなかった。すぐ人に会える便利さとか、選べる店の多さとかより、愛せるものがあるかどうかのほうが大きい。人はそれぞれ心の合う土地に住むべき、心がきれいになる土地に住むべきなんだということを知った。日野も押上もきっと誰かの好きなまちなんだろう。自分の好きなまちで自分の時間をたっぷりもって暮らした日々が、感性と豊かさへのこだわりをすくすくと育ててくれた。

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