安倍氏“銃撃現場”に奈良市長がモニュメント設置構想 賛否両論で識者はどう考えるか
試験では面接官
佐瀨氏は東京大学教養学部から社会科学研究科の博士課程に進み、1965年に東大教養学部の助手に就任した。
67年から成蹊大学で講師や助教授を歴任したが、その際、成蹊高校から成蹊大学への内部試験を担当、安倍氏の面接を行ったという。
「安倍さんは私のことを忘れているだろうと思っていたのです。ところが懇談会のことで対面すると、安倍さんのほうから『私の面接を担当されましたよね』と言ってくれました」(同・佐瀨氏)
佐瀨氏は奈良市とも縁が深い。生まれは旧満州だが、敗戦前に奈良市に引き揚げたのだ。当時の奈良女子高等師範学校附属国民学校(現・奈良女子大学附属小学校)に通い、5年生の時に終戦を迎えた。
「事件現場の周辺もよく歩いたことがあり、鮮明な記憶が残っています。とはいえ、当時は田畑が広がり、夏の夕暮れには無数のホタルが光を出しながら飛ぶような農村地帯でした。事件が起きてテレビに現場が映ると、あまりに都市化しているので驚いたくらいです」(同・佐瀨氏)
生前の安倍氏と親交があり、なおかつ奈良市を故郷とする佐瀨氏に、モニュメントの設置問題について見解を訊いた。
風化は敵
「賛否両論の議論が起きているわけですが、議論自体に価値があります。賛成派の『歴史を残すべき』という意見も、反対派の『つらい思いがするので残してほしくない』という意見も、どちらも傾聴に値します。だからこそ、徹底した議論が必要なのではないでしょうか」
佐瀨氏の“私見”を問うと、「何かの形で事件現場の状況を歴史に残すことは必要だと考えています」と言う。
「あのような事件は二度とあってはなりません。再発防止のためには、未来の日本人に事件の詳細を伝えることが何より重要です。風化が最大の敵なのです。そのためには、事件現場の記憶を、しっかり残すことは重要でしょう」
とはいえ、「ここが現場だと、未来永劫、残るのは、精神的につらい」という意見も説得力がある。どうすればいいのか。
「現場の整備は最小限にとどめるというアプローチは、検討に値するかもしれません。現場は小さな印とか、事件を説明する案内板の掲示だけにする。そして、現場から離れた奈良市内の郊外部に、しっかりとした資料館のようなものを建てる。事件現場と資料館の物理的な距離を離すことで、惨劇の生々しさを排除することができる可能性があります」(同・佐瀨氏)
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