「リブゴルフ」は世界ランキングの対象になれるのか 創設者ノーマンの悲運を振り返る
サウジアラビアの政府系ファンドをバックに付け今年6月に創設された「リブゴルフ」は、米国のPGAツアーや欧州のDPワールドツアーのスター選手たちを次々に獲得し、世界のゴルフ界を震撼させている。そのリブゴルフを率いているのは、かつて「グレート・ホワイト・シャーク」の異名を取ったグレッグ・ノーマン(67)だ。古くからのゴルフファンにはおなじみの存在。だが、現代の若い世代にとっては「ノーマンって、どんな人?」という感じで、彼の歩みや人となりはあまり知られていない様子である。【舩越園子/ゴルフジャーナリスト】
メジャー初優勝目前で…
ノーマンのパーソナル・ヒストリーを知らずして、現在のリブゴルフ騒動を語ることはできない。それほど彼の人生とリブゴルフ創設は密接な関係にある。そして、彼が遭遇した運命の皮肉、悲運の連続が、リブゴルフを生んだと言っても過言ではない。
「生涯で最も忘れがたき年はいつ?」とノーマンに尋ねたら、きっと「1986年」と答えるはずである。
オーストラリア出身のノーマンがPGAツアー参戦を開始したのは1983年のこと。翌年、早々に2勝を挙げた彼は、1986年4月のマスターズ最終日を単独首位で迎え、メジャー初優勝に迫っていた。
しかし、最終日に彼から4打も遅れてスタートした帝王ジャック・ニクラス(82)に逆転敗北を喫した。46歳にして史上最多のメジャー18勝目を成し遂げ、光り輝くニクラスの傍らで、1打及ばず2位タイに甘んじたノーマンは悔し涙を飲んだ。
それから2か月後、ノーマンは6月の全米オープンでも最終日を単独首位で迎えた。だが終わってみれば、勝利したのはレイモンド・フロイド(80)で、最終日に75を叩いたノーマンは12位タイに終わった。
1986年にノーマンに起きたこと
7月の全英オープンでも3日目を単独首位で終えたノーマンは、その夜、レストランでニクラスにばったり出くわした。4月のマスターズでノーマンを抑え込み、逆転優勝したニクラスは、その際、緊張していたノーマンがクラブを握るグリップ圧をどんどん強めていることに気づき、それが彼のショットを乱し、命取りとなったことをしっかり見抜いていた。
「グレッグ、明日の最終日はグリップ・プレッシャーに気をつけなさい」
それは、メジャー大会で続けざまに惜敗したノーマンを今度こそ勝たせてあげたい一心で、ニクラスが送ったアドバイスだった。そのおかげで、翌日、2位に5打差で圧勝し、メジャー初優勝を達成したノーマンは、テレビ解説をしていたニクラスの下へ一目散に駆け寄り「ありがとう」と繰り返した。あの瞬間のノーマンは眩しく輝いていた。
しかし、翌月の全米プロでは、またしても最終日を首位で迎えながら、ボブ・ツエー(63)に敗れ2位に甘んじた。あの年のノーマンは全英オープンを制覇したものの、他の3つのメジャーすべてで3日目を首位で終えながら最終日は敗北。報われそうで報われず、54ホールでは輝きながら72ホールを終えるころには萎んでしまった。
そんな彼のことを、米メディアは「3(スリー)ラウンド・プレーヤー」「サタデー・スラム」などと呼んだ。
1986年は、ノーマンにとってそんな「忘れがたき年」だった。
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