「不死」を可能にするのは技術より人気? ABBAのデジタルライブで感じた「彼らはもう死ぬことがなくなった」(古市憲寿)

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 彼らが登場した瞬間、ABBAはもう死ぬことがなくなったんだと思った。

 ロンドンで開催されている「ABBA Voyage」というデジタルライブに行ってきた。生身の人間という意味での本人の登場はない。ステージ袖に生バンドこそ控えてはいるが、あとは巨大モニターがあるだけ。

 それにもかかわらず、3千人収容の特設アリーナは満員だった。しかも1回限りのイベントではない。今年の5月から週7回もの公演が行われているのである。なぜモニターの映像を観るだけのライブがここまで人気を集めているのか。

 その理由はステージに「ABBA」が登場した瞬間にわかった。それは紛れもないABBAに見えた。実際のライブに行ったことはないし(生身最後のツアーは1980年)、もちろん会ったこともない。だが確かに、ステージでABBAが立ち、歩き、話し、歌い、踊っているように感じたのだ。

 最新のテクノロジーの成果である。ABBA全盛期の姿がデジタル技術で合成されている。ただ当時の映像を流しているわけではない。5週間かけて本物のメンバーの動きをモーションキャプチャースーツで記録、その上で振付師やダンサーたちがその動きを、更に本物らしくした。

 ここが面白いところだと思う。実際のメンバーは72歳を超えている。もはや本物のABBAの動きは、人々が想像するようなABBAと同じではない。

 こうして膨大な手間暇をかけて完成したショーが「ABBA Voyage」だ。会場では老若男女が楽しそうに踊っていた。高齢者は当時を思い出し、若者は新しいエンターテインメントを体験するために訪れる。

 この方式で、もっと他のミュージシャンのライブも観たいと思った。ビートルズやクイーンの「復活」もあり得る。ついに人類は“不死”を手にしたのかもしれない。

 だが、これからレジェンドの復活が相次ぐかというと、そんな簡単な話ではないようだ。ニューヨーク・タイムズによると、「ABBA Voyage」の最終的な予算は1億4千万ポンド(約226億円)にも上ったという。これはABBA自身も出資者となり、権利関係もクリアできたから可能になったプロジェクトだ。

 普通はデジタルライブのために、これだけの金額を集めるのは困難だ。またメンバー(もしくは遺族)が不仲の場合、余計にプロジェクトの成功は難しくなる。

 そして人々は忘れていく。本人の死後も人気を保つミュージシャンは本当に一部だ。ミュージシャンだけではない。どれほど一世を風靡したスターだろうと、ほとんどは歳月と共に名前さえ忘却されていく。「不死」は、自らが世界を去った後にも、それを望まれた人だけに許される特権なのだろう。その意味で、不死の実現には技術の壁よりも人気の壁の方が厚そうだ。

 自らを人気者と信じて疑わない大富豪が、死後のために巨額を投じてアバターを作る。だが結局、誰からも見向きされない。近未来に起こりそうな話である。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目され、メディアでも活躍。他の著書に『誰の味方でもありません』『平成くん、さようなら』『絶対に挫折しない日本史』など。

週刊新潮 2022年9月22日号掲載

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