選手やファンが大乱闘…熾烈な優勝争いで起きた「とんでもない大騒動」
ファンがスタンドで乱闘
西武といえば、球団誕生2年目の80年後期(当時のパ・リーグ前後期制)に、ファンがスタンドで乱闘する事件も起きている。初年度の1979年は開幕から12連敗を喫して最下位に沈んだ西武だったが、80年後期は投打がかみ合い、9月26日の時点で2位・ロッテに2.5ゲーム差の単独首位。早ければ翌日にもマジック10が点灯するという快進撃に、地元・埼玉のファンのボルテージも上がる一方だった。
だが、9月28日に阪急に連敗してから、歯車が狂いはじめる。翌29日は本拠地・西武球場で近鉄を迎え撃つも、6回を終わって1対8と敗色ムード濃厚になった。
そして7回、一塁側のみならず、三塁側の近鉄応援団席の7割を占めていた西武ファンが、怒りの矛先を近鉄ファンに向け、襲いかかってきた。
当時、近鉄応援団の一人だった佐野正幸氏の著書「完本プロ野球乱闘伝説」(ミライカナイ)によれば、グラウンドに物を投げ込んだ西武ファンを応援団員が注意したことがきっかけで、激高した西武ファンが一斉に襲いかかってきて、殴り合いになったという。
警備員が仲裁し、何とかことを収めたが、翌日、一部の新聞は「近鉄応援団席でバンザイを何度も叫び、何度も喧嘩になりそうな険悪な空気が流れた」という論調で報じ、あたかも近鉄ファン同士が喧嘩をしているかのよう。佐野氏は「事実と違う」と新聞社に抗議の電話をかけたという。結局、西武は6連敗して優勝戦線から脱落。近鉄が連覇を達成した。
天王山の一戦でファンが起こした騒動は、ほかにも中日の選手6人が負傷し、翌日の試合中止の非常措置がとられた75年9月10日の広島対中日、V9達成直後の巨人の選手たちが阪神の大敗に怒ったファンに襲撃された73年10月22日の甲子園暴動事件が知られている。
選手のみならずファンもヒートアップする優勝争い。節度ある観戦マナーを心掛けたいものだ。
[3/3ページ]