通園バス3歳児死亡、「へらへら園長」の知られざる素顔 同級生は「ボンボンで口下手」

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へらへらと笑いながら「廃園になるかもしれないよね」

 増田理事長の本性がよく分かるゆえ、そのやり取りをそのまま以下に記そう。

増田理事長「皆様方のご協力でいい園を、また僕がいなくなったら、さらに良くなるように……」

同席した弁護士「園を続けるかは決まっていません」

増田理事長「あ、そうか。廃園になるかもしれないよね(笑)」

 そうへらへらと笑いながら答えたのである。

 一連の受け答えを見る限り、増田理事長に悲劇を招いた当事者としての自覚が希薄なのは間違いない。

 先の記者によれば、

「静岡県警は業務上過失致死の容疑で、増田理事長の自宅へ家宅捜索に入りました。関係者への事情聴取を進めていますが、昨年福岡県の保育園送迎バスで起きた5歳男児置き去り死亡事件でも、責任者は逮捕されず在宅起訴となっています。今回も同様の扱いとなる可能性が高いでしょう」

 はっきり謝罪せず、責任転嫁ともとれる発言をする増田理事長の姿は、3年前に起きた「池袋母子死亡事故」を彷彿させるという声もある。事故の原因は暴走した自動車にあると加害者ながら抗弁し、結果として逮捕もされず“上級国民”ならではと揶揄された旧通産省の元幹部・飯塚幸三受刑者(91)の姿と重なるというわけだ。

代々製茶工場を経営していたが…

 実際、増田理事長もまた地元では“園長先生”と呼ばれ、名士としての呼び声が高かった。牧之原市の行革懇談会のメンバーに選ばれ、園児を伴い地元警察署と共同で交通安全を啓蒙するパレードを実施。皮肉なことに、たびたび静岡県安全運転管理協会などから、優良運転者として、また交通安全運動に貢献したとして表彰まで受けている。

「園長先生は地域の世話役だったから、一時期は周囲から選挙に出ろと勧められたこともあるくらいだよ」

 そう話すのは、増田理事長の自宅近所に住む男性だ。

「代々、あの家は製茶工場を経営していたけど、それが20年ほど前にお茶の需要が減って農家にとっても厳しい時代になってね。園長先生本人も、父親が運営していた学校法人の経営に積極的に参加するようになった」

 園のホームページに掲載されていた増田理事長の経歴によれば、地元の県立榛原高校を経て、1972年に専修大学経営学部を卒業。99年に浪速短期大学通信教育学部保育科を卒業している。

 この時、すでに増田理事長は50歳。3年後の2002年には、父親の後を継ぎ、学校法人の理事長と兼務で川崎幼稚園の園長に就任したのである。

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