北朝鮮大使が明かした日本人拉致の真相 「金正日は激怒してチェコ製の灰皿を投げつけた」

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「金正日将軍様が勝手に実行した」

 七尾氏が「李恩恵の名前を出したら、なぜダメなのか」と聞くと、「交渉が決裂する」という。なぜ決裂するのか、李三魯の説明は要領をえない。

「日朝交渉が終わると、交渉大使は単独で金正日書記に、報告する。前回の交渉後に李恩恵の名前が初めて出たと報告したら、次に名前が出たら、決裂にしろと怒鳴られた」

 怒り狂った金正日は、机の上の大きなチェコ製のガラス灰皿を李三魯に投げつけた。間一髪よけたら、また怒られた。

 七尾氏は「なぜ李恩恵問題を出したら、決裂するのか。調査しますと言って否定するのが、いつもの北の手口じゃないか」と反論した。

 李三魯は、今回はダメだという。しばらくやり取りしたが、堂々巡りだ。李三魯が「事情を、七尾氏に私から直接は話せない。あなたに説明するから、それを七尾氏に伝えてほしい」という。ホテルのロビーの片隅で、朝鮮語で衝撃の理由を聞かされた。

「日本人拉致は、金日成主席の許可を得ずに、金正日将軍様が勝手に実行した。金日成主席にバレたら、大問題になる。将軍様は、後継者を降ろされるかもしれない。主席に伝わらないように、懸命に抑えている。次の交渉で李恩恵の名前が出たら、交渉を中止しろと言われている」

 この話を七尾氏に伝えた。李三魯は、「外務省の首脳に伝えて欲しい」と七尾氏に、何度も念を押した。でも、伝わらなかったようだ。

 それから数ヶ月後の92年11月、日朝国交正常化交渉で、日本側が李恩恵の名前を出した途端、北朝鮮代表団全員が席を立ち、交渉は決裂した。李三魯は、インドネシア大使に栄転した。李三魯は、金日成主席への拉致情報を遮断したから、評価されたのだろう。日本人拉致の真実は金日成に届かなかった。

日本人拉致は、南北統一工作のため

 なぜ金正日は日本人を拉致したのか、漫画か映画みたいな話だが、南北統一工作のためだった。日本人を工作員にしたり、工作員の日本語教育係にすることを目的にしていた。統一戦争も、本気で考えていた。日本人拉致が本格化する直前の1975年に、金日成主席は北京を訪問し「戦争になれば、失うものは軍事境界線。得るものは、統一」との有名な演説をした。

 戦争を危惧した中国首脳は、金日成主席に「北朝鮮から戦争を始めたら助けないが、攻撃された場合には考える」と通告した。北朝鮮は、攻撃されたら統一戦争は可能だと解釈した。

 翌1976年に、米軍と北朝鮮軍が共同管理する板門店で、米軍兵士が北朝鮮兵士に斧で殺害された。金日成主席が謝罪し、事態をおさめた。後になって、この事件は米軍の戦争を挑発し、北朝鮮を攻撃させる金正日の計画だった、と語られた。

 また、1983年に北朝鮮の工作員が、ミャンマーで韓国の全斗煥大統領暗殺を謀った事件も、金正日氏の指示だった。普通の国なら、北朝鮮を攻撃するが、全大統領と米国が韓国軍を抑えた。この暗殺未遂も後になって、統一戦争に誘導するためだったと、分析された。

 94年5月にワシントンから帰国すると、日本は核開発報道で「北朝鮮が戦争を始める」と大騒ぎしていた。僕だけが「北朝鮮は石油がないから戦争できない」と、「中央公論」誌に書いた。毎日新聞に転職する前、シェル石油で働いていたから、北朝鮮の石油を調べた。TBS「NEWS 23」の筑紫哲也さんがテレビで話せと、呼んでくれたので、拉致問題についても北朝鮮の犯行と説明した。

 金日成主席は、94年7月8日に死んだ。拉致の真実は、金日成に届かなかった。

重村智計(しげむら・としみつ)
1945年生まれ。早稲田大学卒、毎日新聞社にてソウル特派員、ワシントン特派員、論説委員を歴任。拓殖大学、早稲田大学教授を経て、現在、東京通信大学教授。早稲田大学名誉教授。朝鮮報道と研究の第一人者で、日本の朝鮮半島報道を変えた。著書に『外交敗北』(講談社)、『日朝韓、「虚言と幻想の帝国の解放」』(秀和 システム)、『絶望の文在寅、孤独の金正恩』(ワニブックPLUS)など多数。

デイリー新潮編集部

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