祖父と父から受け継いだものをゆっくり守り育てる――石渡美奈(ホッピービバレッジ社長)【佐藤優の頂上対決】

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一人娘として

佐藤 石渡さんは昔から会社を継ごうと考えていたのですか。

石渡 一人っ子なので、私が継ぐ立場だよな、とは思っていました。ただ私が社長になるのではなく、家業を継いでくれるお婿さんをもらうことが私の役割だと考えていました。

佐藤 OLもされています。

石渡 大学を卒業して日清製粉に入ったのですが、申し訳ないことに全然合わなかったですね。「あなたはお父さんの背中を見て育ったね」と言われたことがありましたが、当時はどういう意味かわからず、後から「OLには向いていない」ということだったと気が付いた(笑)。

佐藤 入社したばかりなのに経営者の視点で見ている、ということかもしれないですよ。

石渡 恐れ多いことです。でも自由にやりすぎて、皆さんにたいへんご迷惑をおかけしました。正直なところ、お婿さんを見つけに行ったわけです。そして次男で婿に入ってくれる優秀な方とご縁をいただき、一応、結婚式を挙げることまではしたんです。でもそれを私が半年でぶち壊してしまった。本当に申し訳ないことをしました。

佐藤 結婚に関しては、私も一度失敗しています。

石渡 そうでしたか。私は婚約して会社を辞めたのですが、嬉しかったのは辞めた日だけでした。1カ月も経つと、社会に自分の立場がないのが面白くない。仕事が好きだったんですね。それで大学時代の友人の紹介で、広告代理店でアルバイトするようになるんです。最初は連絡業務くらいでしたが、営業もやらせてもらえるようになって、どんどん面白くなっていった。その間に結婚、離婚をして、仕事をしながら「さあ、自分はどうやって生きていこう」と真剣に考えることになったんですよ。

佐藤 自分探しをされた。

石渡 そんな時、父がビールの免許を取って、1995年に初めて地ビールを出すんです。

佐藤 「赤坂ビール」ですね。私がちょうどモスクワから戻ってきた頃のことで、赤坂東急ホテル(当時)で飲みました。一緒に行ったロシア人が15本も空けて、もうないと言われましたね。

石渡 嬉しいお話です。

佐藤 ビール造りへの思いはずっと持っていたのですね。

石渡 父は「酒造りは男のロマンだ」と言っていましたね。ビールは参入障壁が高く、免許を得るのがたいへんですが、細川護煕政権下の規制緩和で参入できることになったんです。そこで家業が面白そうに見えてきて、父に入社したいと言った。でも父はいろいろ思うところがあったらしく、なかなか入れてもらえない。結局、入社まで1年ほどかかりました。

佐藤 当時はまだヘルシードリンクとは認知されていないですよね。

石渡 ええ。ホッピーのイメージはよくなかったです。市場調査をしたら、「ダサい、カッコ悪い、面倒くさい」。じゃあ、カッコよく面倒くさくないお酒を造ればいいのね、と、広告代理店時代の仲間にデザインをしてもらい、スタイリッシュな「ホッピーハイ」というお酒を出したんですが、見事に失敗しました(笑)。

佐藤 どこが悪かったのでしょう。

石渡 お客さまからは、「こんなお洒落なホッピーは、ホッピーであるはずがない」とか「ホッピーの名前を冠したニセモノに違いない」と言われましたね。それにRTD(Ready To Drink=ふたを開けてすぐ飲める)にすると、当然、お店で飲む味とは違ってきます。このため「おいしくない」という声もありました。

佐藤 嗜好品には慣れという要素もありますからね。

石渡 あの頃は女性がマーケットの主役とわれていました。それで女性向けに、ダサいと言われたホッピーを反対側に振りすぎてしまったんですね。だから全然メッセージが伝わらなかった。

佐藤 変化にも許容範囲がある。

石渡 はい。そして少しずつ変えないといけない。失敗して落ち込んでいたら、父がいろんな資料を見せてくれたんですよ。その中にホッピーのロゴデザイン案がありました。縦組を横にしたり、細い字を太くしたり、赤の文字を今様の赤にしたりといろいろある。少し変えるだけですごく変わるんですね。それを見て、無理に変えなくていいんだと、肩の力が抜けたのを覚えています。

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