巖さんがはいていたことにされた「緑のブリーフ」の矛盾【袴田事件と世界一の姉】

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無法者

 判決直後の『週刊朝日』1968年9月27日号は少し踏み込んでいる。

《拙劣捜査を叱られた捜査陣 袴田事件求刑通りの死刑判決だが…

「確かに判決は死刑。だが何か馬に後ろ足でグァーンとけとばされた感じ」というのは静岡地検大泉次席検事。十一日静岡地裁で開かれた一家四人強殺放火事件の被告元プロボクサー袴田巌(三二)の判決公判で静岡地検、県警本部は有罪―死刑の判決をかち取ったものの、くさり切っている。

 それというのも判決公判で同地裁は袴田の犯行と認めたものの検察側の提示した自白調書四十五通のうち、なんと四十四通を証拠能力なしとして退け、「事件の捜査は戦後まれに見る拙劣なもので捜査陣はきびしく非難されなければならない」と述べ、さらに「被告袴田と調べ官の対決は“無法者同士の争い”」ときめつけてしまったからである。(中略)

 地裁が問題としたのはこの間の警察による取調べについてだ。石見裁判長は「物的証拠不足という捜査の手落ちをもっぱら自白で補おうと一日平均十二時間以上の調べを続けたのは普通でない。このような調べで作成された調書など任意性があろうはずはない」と警察のとった調書二十八通すべてを排除、強い調子でしかった。

 地裁が捜査を拙劣と責めたのは、公判中で事件後一年二ヵ月たった昨年八月末、会社工場内の味噌貯蔵タンクの底から味噌にまみれた血染めのシャツ、ズボンが同社従業員の手で見つかったことをさしている。

 当時このような決定的証拠も発見出来ず、パジャマから血液型の反応があったからとパジャマで犯行したと決めつけ、連日連夜パジャマの血だけで犯行を自供させようとしたのは拷問にも等しい、というのが地裁の見方だ。

 糾弾されたのは警察だけでない。検察側の出した自白調書十七通についても同地裁は「起訴前に作成された一通を除き、他はすべて起訴後の調べで作られたもので証拠能力はない」として排除してしまった。(中略)

 おさまらないのが同地検大泉次席検事で「ケースによってはこんごも起訴後取調べはあり得る。憲法違反とまでいうのなら争っても良いのだが、判決は求刑通りだし控訴するわけにもいかない」とうっぷんの持って行きばがない。「それにしても警察を無法者よばわりしたのはどうですかナ」とすっかりアタマに来ている。》

 無法者呼ばわりとは穏やかでないが、石見裁判長の「本件捜査は被告人に対して連日10時間から14時間にわたって執拗に自供を迫り、物的証拠に対する捜査をおろそかにした結果、1年以上も後に重大な証拠が発見された。こうした捜査方法は法の精神にもとり憲法第38条違反の疑いもあり無法者同士の争いとして大いに批判され反省されるべきである」という言葉は重要だ。

 だが、これは刑事裁判で言い渡しの後、裁判長が被告人に「しっかり反省して更生してください」とする訓示などと同様、公式記録には残らなかった。無実を確信しながら裁判官3人の合議で通らず、泣く泣く判決文を書かされた熊本判事の「付言」は盛り込まれた。熊本氏については別の機会に譲る。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」(三一書房)、「警察の犯罪――鹿児島県警・志布志事件」(ワック)、「検察に、殺される」(ベスト新書)、「ルポ 原発難民」(潮出版社)、「アスベスト禍」(集英社新書)など。

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