45歳男性が送る、2人の不倫相手と崩壊した家庭の「三重生活」 そこで浮上する重大な金銭問題

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男手で育った亮一郎さんが出会った、2人の女性

 最初の妻・美保さんと知り合ったのは29歳のとき。それまで何度か女性とつきあったことはあるが長続きしなかった。

「若いころの恋愛って、あやふやですよね、お互いに。些細なことでケンカになって女性を怒らせて終わっていました」

 美保さんとは親戚の紹介で会った。いとこの妻の友人だったのだ。そろそろ家庭をもってもいいころだろと言われた。

「僕は男兄弟3人の末っ子なんです。4歳のときに母が亡くなって、それ以来、父と祖父と父の弟、そして兄弟と男ばかりの6人所帯で育った。だから女性のいる環境に慣れていない。でも人一倍、女性への理想は高い。めんどうなヤツだったと思います。いとこの妻の友人である美保は、そんな僕の環境も知った上で会ってくれた。出会って感じがよかったので、すぐに結婚を決めたんです」

 彼女はいるのかとか、結婚はどうするんだとか、職場の人に尋ねられるのもめんどうになっていた。

「2歳年下の美保は常識的なタイプ。僕は自分が母親のいない状態で育ったから、子どもができたら仕事をやめてほしかったけど、美保は、『ふたりで稼いでふたりで家事育児をやったほうが効率的だと思う』と。今になって思うけど、彼女は家事が大嫌いだった。料理もほとんど作れない。代わりに妻の母がよく自宅に来てくれましたが、僕は口うるさいこの人が苦手で……。僕が家事や育児にかかわろうとすると『男所帯で育った人は不器用でダメね』と言ったりする。せっかくかわいい子どもたちがいるのに、家が楽しくなくなっていきました」

 そんなとき麻紀子さんと出会った。8歳年下 で独身の彼女は、常に生き生きとしていた。年下なのに彼を“亮ちゃん”と呼び、屈託なく明るい女性だったから、亮一郎さんは惹きつけられた。

「なかなか恋愛関係にはなりませんでした。僕からも言えませんしね。仕事にかこつけて、たまに会って食事をして別れる。そんな友人のような関係が2年ほど続きました。彼女には恋人がいたようだから、僕は友人として存在できればよかった。あるとき一緒に食事をしていたら、彼女が『フラれた』と泣き出したんです。ただひたすら話を聞きました。朝近くなってようやく彼女は少しだけ笑顔を見せた。送って行って、僕はそのまま出社しました」

 数日後、麻紀子さんから連絡があった。「あの日はごめんなさい。すっかり落ち着いた」という報告だった。ご飯でもと言われ、指定された場所に行くと、麻紀子さんの自宅だった。

「手料理をごちそうしてくれたんです。戸惑いましたが、彼女の気持ちを無碍にするわけにはいかない。料理はおいしかった。素人とは思えない味でした。聞けば彼女の父親が洋食屋さんを営んでいるんだそう。高校時代から店でアルバイトをしていて、味つけも盗み見て覚えたと。『跡取りがいない状態だから、私がやってもいいかなとは考えている』とも言っていました。話を聞くと、両親と妹の4人家族で、両親ともに店で忙しかったけど愛情たっぷりに育ててくれたと笑顔になって。それでこんな明るい女性ができあがるんだなあと感心したのを覚えています」

 食事が終わると亮一郎さんは食器を洗った。そんな彼を麻紀子さんが後ろから抱きしめてきた。ダメだよと振り向いたところをキスされた。完全に彼女主導で、彼にとって新鮮だった 。

「それがきっかけとなって、彼女にはまっていった」

 離婚するつもりなどなかった。彼女も「結婚したい」とは言わなかった。だが麻紀子さんに会って家に帰ると、自宅が色褪せて見えた。亮一郎さんは「子どもに会えるなら、この家庭はなくてもいいかもしれない」と思うようになっていく。

「言質をとるのは卑怯だと思うけど、もし僕が離婚したら一緒になってくれるかなと麻紀子に言ったんです。深いつきあいになって1年近くたったころです。彼女は、『このままでもいいし、半同棲でもいいし、同居でもいいし、結婚でもいい。あなたと別れないでいいならどんな方法でもかまわない』と。僕、それを聞いて涙が出ました。麻紀子のためにも離婚しなければと思うようになりました」

 40歳を前にして、自分の人生を歩もうと彼は決めた。もちろん、子どもたちとは今まで以上に緊密な関係を作らなければならない。

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